TOPページへ論文ページへ
論文

 2日前の6月12日にシンガポールで開催された米朝首脳会談は共同声明を発表して終了しました。
 歴史的な一歩であることは間違いありませんが、ドイツの新聞が「ショーは終わりだ」と評論しているように、具体的な方策は、これからの実務者会議で交渉されていき、実効性のある政策が実現するかは未定です。
 しかし、1953年7月に署名された「朝鮮戦争休戦協定」以来、65年ぶりに朝鮮半島だけではなく東アジアの情勢を転換させる可能性は十分あります。
 このような世界の構造を大きく変更する会談は歴史の中に多数あります。
 そこで今日は歴史を変えた外交交渉をいくつか振り返ってみたいと思います。

 最初は1492年6月7日にスペインとポルトガルが締結した「トルデシリャス条約」です。
 15世紀前半からポルトガルはアフリカ大陸の西側に沿って南下し、アゾレス諸島やヴェルデ諸島を発見し勢力を拡大していきます。
 一方、スペイン王室が資金を提供したクリストファ・コロンブスが15世紀末にアメリカ大陸を発見します。
 そうすると、やがて両国が発見する新しい大陸や島の帰属が問題になるということが予測され、スペイン出身の教皇アレクサンデル6世が、コロンブスの新大陸発見の翌年の1493年に、大西洋の真ん中を通る子午線を境界にして、そこより東で発見された土地はポルトガル領、西はスペイン領とするというスペインに有利な回勅を発表します。
 その境界線に不満を持ったポルトガルの国王ジョアン2世はスペインの国王フェルディナンド2世と直接交渉して境界線を西側に移すことで合意を得て、1494年に教皇アレクサンデル6世が認めたのが「トルデシリャス条約」です。
 これは1506年まで12年間、新発見される地域を2国だけで支配するという制度になりました。

 このような身勝手に世界を2分する条約は現在では認められそうにありませんが、意外にも中国は同じことを主張しています。
 すでに2007年頃から小出しにしていたのですが、2013年に習近平国家主席がカリフォルニアでオバマ大統領に会った時、太平洋の真ん中のどこかの子午線で太平洋を2分し、東側をアメリカ、西側を中国が支配する第3列島線構想を提案しています。
 オバマ大統領は相手にしませんでしたが、第二のトルデシリャス条約と騒がれました。
 最近の中国の海軍増強や海洋進出などを見ると、誇大妄想とも言えない発想です。

 1905年に大日本帝国とロシア帝国が締結した日露戦争を終結させる講和条約である通称「ポーツマス条約」も世界の構造を変えました。
 1904年に開戦した日露戦争で日本は陸海とも優勢でしたが、当時の国力からは軍事力でも財政力でも限界に近く苦闘していました。
 そこで日本海海戦で圧倒的勝利を収めたことを絶好の機会として、小村寿太郎外務大臣がアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に日露の講和の斡旋を依頼し、成立した条約です。
 日本は賠償金の請求を放棄したため、日本国民の不満は爆発しましたが、世界からは「平和を目指した英断」と評価されました。
 これ以後、ロシア帝国は衰退しはじめ、12年後の1917年にはロシア革命が勃発し、約200年続いたロシア帝国が消滅するとともに、アメリカが世界の表舞台に登場する契機ともなり、ルーズベルト大統領は日露の講和を斡旋し日露戦争を終結させた功績により、翌年(1906)ノーベル平和賞を受賞しました。
 19世紀までヨーロッパが主導してきた世界をアメリカが主導する20世紀に転換させた外交会議ということになります。

 1972年のアメリカのニクソン大統領と中華人民共和国の毛沢東主席、周恩来総理との米中会談も世界の構造を変え、「ニクソンショック」という言葉が誕生しました。
 第二次世界大戦終了後、ソビエトと中国という共産主義国家と周辺の国家との対立により世界は二分され、その影響で朝鮮戦争やベトナム戦争が発生していました。
 しかし、1953年にソビエトのスターリン書記長が死亡してから、ソビエトと中国の関係が不安定になり、1969年には国境で武力紛争が発生するほどの関係になっていきます。
 これを好機と見たアメリカはニクソン大統領の補佐官であったキッシンジャーが1971年に極秘で中国を訪問して根回しをし、翌年7月、ニクソン大統領が北京に到着し、訪問の最終日に米中共同(上海)コミュニケが発表されて米中の敵対関係が終わり、世界の構造が大きく変わりました。
 キッシンジャーは米中会談実現の功績ではありませんが、1年後にベトナム戦争終結に向けたパリ協定調印に貢献した功績でノーベル平和賞を受賞しています。
 キッシンジャー補佐官をポンペオ国務長官、ニクソン大統領をトランプ大統領に置き換えると、今回の米朝会談は当時のような極秘ではないものの、46年前を再現しているようです。

 これで残る大きな敵対関係はアメリカとソビエトになりましたが、それを改善したのが1986年のレイキャビク首脳会談です。
 アイスランドの首都レイキャビクでアメリカのレーガン大統領とソビエトのゴルバチョフ共産党書記長が10月10日と11日の2日間会談をしました。
 ゴルバチョフは1年前に共産党書記長に就任したばかりでしたが、「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」を推進して冷戦構造を終結させる方向で改革を進めていたため、そこに目をつけたアメリカが首脳会談を持ちかけ、翌年の中距離核戦力(INF)全廃条約の成立の契機を作りました。
 これらの功績によりゴルバチョフは1990年にノーベル平和賞を受賞しますが、皮肉なことに、その翌年にソビエト連邦は74年の歴史を閉じることになります。

 このような歴史から推察すると、今回の米朝会談も世界の構造を大きく変える可能性は十分にありますし、これまでの歴史的会談の貢献者はノーベル平和賞を受賞していますから、トランプ大統領の脳裏にもストックホルムが浮かんでいるかもしれません。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.