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論文

 大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河が開通して今年が104年目です。
 正式の開通式が行われたのは1914年8月15日ですが、実際に汽船が通行したのは、明日8月3日です。
 そこで今日はパナマ運河が開通するまでの経緯と、現在のパナマ運河を取り巻く世界情勢をご紹介したいと思います。

 世界を大きく変えたもう一つの運河であるインド洋と地中海を結ぶスエズ運河の完成は今から149年前の1869年ですが、この開発を実行したのはフランスの外交官で実業家のフェルディナン・ド・レセップスでした。
 この成功に気を強くしたレセップスは次の大目標としてパナマ運河の開発を目指し、コロンビア共和国から運河を開発する権利を購入、1880年から工事を開始しました。
 しかし、北緯9度という熱帯にある未開の土地で工事をするのは難事業で、私も数年前に客船で通過しましたが、現在でも両側の大半は熱帯雨林でしたから、当時は現在以上の未開の密林で、マラリアや黄熱病などで2万2000人もの工事関係者が亡くなるなど問題が発生し、結局、1889年にスエズ運河会社は倒産し、レセップッスは引き上げます。

 そこでアメリカが建設を引き継ぎます。
 アメリカにとっては東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道は完成していたものの、大量の人や物を運搬するためには航路が必要でした。
 当時は南米大陸最南端のホーン岬を周回する航路しかなく、片道1ヶ月以上もかかり、しかも荒れることで有名なドレーク海峡を通らなければならないので、運河は経済的に重要でした。しかし当時のセオドア・ルーズベルト大統領にとってさらに重要な目的は軍事的な役割でした。
 1898年のスペインとの戦争(米西戦争)に勝利し、大西洋の覇権を確保したアメリカにとって次の目指す場所は太平洋となり、そこへ軍艦や兵員を大量に輸送するためには運河が必要だったのです。
 ルーズベルトは海軍次官であった時代に、日清戦争に勝った日本について、「私は日本の脅威を現実のものとして実感している。パナマ運河を早急に建設し、12隻の戦艦を建造して半分は太平洋側に配置すべきである」と発言しています。
 実際に、その後、アメリカ海軍が建造したミズーリ号、アイオワ号などの軍艦はパナマ運河の閘門(ロック)を通過できるギリギリの大きさでした。
 そのような背景から、レセップスの撤退を好機として、アメリカは建設するだけではなく、管轄権も保持する仕組みを作り、1903年から工事を開始します。

 アメリカは実際の建設工事を開始する前の2年以上、最大の課題である黄熱病やマラリアの感染を防ぐため、軍隊を派遣して航路となる用地の両側の森林を伐採し、池や水面は干拓し、蚊の繁殖を防いだ結果、建設現場での死亡率は当時のアメリカの都市の平均死亡率を下回るほどになり、工事は比較的順調に進んで予定より2年も早く1914年に完成しました。

 実は、この世紀の難工事に1人だけ青山士(あきら)という日本人が参加していました。それも労働者としてではなく、測量技師と設計技師として参加し、運河全体の中でももっとも難工事のガトゥン閘門の設計の一部を担当したのです。
 青山は東京大学工学部土木工学科を卒業した直後に恩師の廣井勇(いさみ)教授の紹介状を持ってコロンビア大学の教授を訪ね、その斡旋でパナマ工事運河委員会に採用されたという経歴です。
 しかし、日本が日露戦争に勝利したため、日本の太平洋への進出を警戒するアメリカが青山を途中で解雇し、完成を見ることなく帰国しています。
 太平洋戦争が始まって、日本帝国海軍はパナマ運河を爆撃するため、青山に情報提供を要求しますが、「私は造ることは知っているが壊し方は知らない」と言った有名なエピソードがあります。

 実は大西洋と太平洋を結ぶ運河の場所としては2箇所の候補地がありました。
 1箇所は現在のパナマ運河が建設されている場所ですが、もう1箇所はパナマ運河より800kmほど北西のニカラグアを横断する場所です。
 パナマ運河の横断距離は80kmに比較して、ニカラグア運河は290kmもあり、不利なようですが、途中に琵琶湖の12倍の面積のあるニカラグア湖を通過するので工事はそれほど困難でもないという条件でした。
 しかし、場所を決定する1年前にニカラグアの火山が大爆発したため、危険だという意見からパナマが選ばれた経緯があります。

 ところが、このニカラグア運河が最近、注目されるようになりました。
 ニカラグアは反米政権が支配しているので、そこに目をつけた中国がニカラグア政府と交渉し、2014年に中国の企業が運河の工事に着工しました。
 当時は2019年に完成する予定でしたが、今年の2月に中止になったという報道がされています。
 そもそも中国がニカラグア運河に目を着けた理由は、アメリカが実効支配しているパナマ運河は、いざという場合、中国が利用できない可能性があるので、中国が支配する運河を確保しておきたいということでしたが、工事の困難さや5兆円にもなる工事資金の調達の困難さから中止になったと推察されています。

 習近平国家主席が推進している「一帯一路」計画は、当初、陸路は中国からヨーロッパまでの「一帯」と、東シナ海からインド洋を通ってヨーロッパまでの「一路」でしたが、最近ではアフリカ大陸を横断し、大西洋も横断して中米や南米まで到達する範囲に拡大しています。
 この7月末には通貨下落で経済が混乱しているアルゼンチンと、ペソと人民元を交換する通貨スワップ協定を結び、また輸入制限していたアルゼンチンの牛肉輸入制限を撤廃するなど関係を深めています。
 また昨年6月にはパナマが107年の外交関係があった台湾と国交断絶をしましたが、これも中国が経済支援と引き換えにパナマを説得した結果で、一帯一路の中南米への拡大戦略の一環と考えられます。

 さらに運河については、かつてレセップスも検討し、戦前には日本も検討したことのあるマレー半島の中央部分を横断する延長44kmの「クラ地峡運河」の建設を、2015年に中国の企業とタイ政府が協力する調印をしています。
 これも「一帯一路」の一環で、習近平国家主席が唱える「偉大な中華民族の復興」を中華人民共和国建国100周年の2049年までに実現する構想を着々と進めている様子です。





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