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論文

 情報社会では個人認証が重要な役割を果たしますが、その新顔の「歩容認証」について紹介したいと思います。
 歩容は歩くという字と、容積の容を組み合わせた言葉ですが、英語ではgait(ゲイト)と言い、足取りという意味です。
 したがって「歩容認証」とは歩く姿で特定の個人を識別する技術ということになります。

 それをご紹介する前に、個人認証全般について説明したいと思いますが、これは大きく分けると2種類になります。
 第一は自分が何者であるかを証明することです。
 役所の手続きでは、かつては印鑑や、外国では署名が使われていましたが、最近では免許証やパスポートなど顔写真入りの証明書が要求されるようになっていますし、銀行のATMなどでは指紋なども使われています。
 第二は、ある人間が特定の人間かどうかを外部の人間が判別することです。
 多数の群衆の中から犯人を探したり、防犯カメラの映像から特定の人間を探したりする事例が代表です。
 今年5月にアマゾン・コムが開発した数百万人の顔写真から即座に特定の対象者を認識できるという高性能の顔認証技術をアメリカの警察が利用しているという情報が出回り問題になっています。
 しかし、この方法では、防犯カメラが記録した映像が遠くからで顔が十分に分からないとか、後ろ姿で顔が見えないという場合には利用できません。

 そこで最近、注目されているのが「歩容解析」とか「歩容認証」といわれる技術です。
 分かりやすく言うと、歩く姿から誰かを特定する技術です。
 歩く姿は一見すると、個人差がそれほどないようですが、精密に分析すると、かなりのことが分かるようになっています。
 歩く姿から特定の人間を識別できることが推理小説で使われたのは意外に古く、1887年にコナン・ドイルが発表したシャーロック・ホームズシリーズの最初の作品である『緋色の研究』で、ホームズが歩容解析を使って犯人の身長を言い当てていますし、最近ではさいとう・たかお作の「ゴルゴ13」で、ゴルゴ13が狙撃を依頼された対象の人間が本物か替え玉かを歩容解析によって見破るというように使われています。

 しかし、科学的な研究が本格的に始まったのは21世紀初頭からです。
 イギリスは世界有数の防犯カメラが設置されている国で、人口当たりでは日本の2倍以上ですが、その撮影した画像が犯人逮捕に十分利用されていないと批判されていました。
 そこで利用方法を検討していた時に、整形外科の学術論文に人間の二足歩行の姿はそれぞれ特徴があり、それによって足腰の症状の推定もできるという内容があり、それをヒントに研究が本格的に始まりました。
 その結果、2003年にロンドンの裁判所で、上半身と下半身だけで頭部は写っていない18秒の歩行の様子の防犯カメラの映像が犯人を示す証拠として提出され、重要証拠として採択され、各地で「歩容解析」が証拠となるようになりました。
 この技術の有利な点は、顔の認証では近い距離から撮影した比較的鮮明な画像が必要ですし、ヘルメットや覆面で顔を隠されてしまうと判断ができませんが、歩く様子であれば、40メートルから50メートル離れた遠方からの画像でも利用可能なことです。
 しかし、長いコートを着ていた場合は分かるのか、時間が経過しても個人は同じ歩き方をするのか、重いものを持っている時と手軽な時と同じ歩き方かどうかなど、まだまだ問題は数多くありますが、注目されている研究分野です。

 この分野で世界的にも進んでいるのが大阪大学の八木康史(やすし)副学長のグループで、2003年から研究を開始されています。
 当初は同じ人間の歩行を撮影しても、方向によって画像が違うと同じ人であると判定できる比率は60%程度でしたが、人工知能の手法の一つである「深層学習(ディープ・ラーニング)」を導入して判断するようにしたところ、2歩分の映像があれば、正しく判定できる比率が96%くらいまで向上し、さらに複数の人間の歩行の映像の中から特定の歩容をもつ人間を探し出すことも可能になっています。
 これに関心を持った警察が2009年から利用するようになり、実際、奈良県警から八木教授に依頼された、顔は写っていないが歩いている姿の映像から放火未遂犯が逮捕されています。
 その結果、2014年の『警察白書』には、有望な次世代科学捜査技術として紹介され、2016年には裁判の状況証拠にも採用されるようになっています。
 このように外国も日本も当初の利用は犯罪捜査の支援が中心でしたが、最近は新しい応用も始まってきました。

 スポーツ選手のトレーニングは利用されはじめている分野です。マラソン選手の理想の走法を探し出すのに応用が検討されています。
 熱心に研究しているのは医療分野で、脳性麻痺などの患者の歩容を解析し、リハビリテーションをする最適の方法を探し出す研究が始まっています。   
 最近、話題になっているのは、東京都健康長寿医療センターと太陽生命保険が共同で、歩く速さや歩く姿から認知症の可能性を早めに発見する研究です。
 太陽生命保険ではスマートフォン用の「認知症予防アプリ」を顧客に提供し、歩行速度が基準以下になると本人や家族に知らせるサービスを行い、大量のデータの収集を開始しています。

 現在、歩く姿だけではなく、署名をするときのペンの持ち方やペンの傾きの映像から95%の確率で人間を特定する研究も進んでいます。
 日本は防犯カメラの配置が人口当たり少なく、2500人に1台程度ですが、中国では8人に1台と言われており、それらが次々と撮影する映像が人工知能によって解析されると、すべてお見通しというような社会になりかねません。
 犯罪対策としては重要な技術ですが、それを適正に利用する規範を社会が整備していかないと、徹底した監視社会になりかねない瀬戸際にあると憂慮します。





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