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論文

 今年は平成21年ですが、今日1月8日は平成という元号が始まった日です。
 昭和64年1月7日の朝に昭和天皇が崩御され、その日の午後に臨時閣議が開かれて、新しい元号を「平成」とすることに決定し、翌日の1月8日から平成の時代が始まったというわけです。
 当時の小渕恵三内閣官房長官が色紙に書いた「平成」という文字を示した1月7日の記者会見の様子を思い出します。
 そこで今日は平成の始まった記念日ということで、元号についての雑学をご紹介させていただこうと思います。

 年を示す方法を紀年法といいますが、多く使われているのはキリスト教国で使われてきたイエス・キリストの生年を紀元とする「西暦」、イスラム社会で使われているムハンマドがメッカからメディナへ聖遷した年を紀元とする「ヒジュラ暦(イスラム暦)」、神武天皇が即位した年を紀元とする日本の「皇紀」などのように、特定の年を出発点として、そこからの年数を数える方法です。

 もうひとつが天皇や皇帝の即位を元年として数える方法で、その呼名を元号もしくは年号と言います。
 この元号の制度は中国から始まり、その文化の影響を受けたベトナム、朝鮮半島の諸国、蒙古、渤海、日本という漢字文化圏のみに存在する紀年法です。
 古代中国では王の即位の年を元年として、その治世の何年目という方法で年を数えていたのですが、戦国時代の秦の恵文王13年(西暦前323年)に陝(せん)を併合した記念として、翌年を新しい元年として改元を行い、それ以後も時々改元が行われていました。
 しかし、前漢の武帝の治世になり「建元」元年(紀元前140年)とし、それ以後、天子が即位するときに新しい年号を制定し、政治上の大変革や王室の慶事、天変地異などが発生すると改元するという制度ができ、2000年以上使われてきました。
 しかし、1949年に中華人民共和国が成立するとともに「公元」という名前で西暦を採用して、現在は元号を使わなくなっています。

 ベトナムでは中国から独立した西暦970年から独自の元号を用いてきましたが、1945年にベトナム民主共和国が成立したときに廃止されました。
 朝鮮半島では高句麗(こうくり)の広開土王(こうかいどおう)が西暦391年に「永楽」という年号を使ったという記録があり、新羅や高麗(こうらい)でも元号を使ってきました。
 しかし、現在では朝鮮民主主義人民共和国が金日成(キム・イルソン)の生年を元年とする「主体(チュチェ)歴」と西暦を併用、大韓民国では初代大統領の李承晩(イ・スンマン)政権時代に、神話上の最初の君主とされる壇君(ダンクン)が即位した紀元前2333年を元年とする「壇君紀元」を採用していましたが、1962年以後は西暦を使用しています。

 このように調べてみると現在でも元号を使っている国は世界で日本だけということになります。
 その日本の元号の歴史は『日本書紀』によれば、西暦645年の「大化の改新」のときの「大化」が最初とされていますが、疑問とする意見もあります。
 そして文武(もんむ)天皇の治世の西暦701年に対馬から金が献上されたことを記念して大宝元年としたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記録され、それ以後は現在まで年号が続いているので、この「大宝」を日本の元号の最初とする意見が有力です。
 そして大化から数えると、南北朝時代の両朝の年号を含んで平成は245番目、大宝から数えても242番目の元号です。
 しかし、今上(きんじょう)天皇は神武天皇からは124代目、大宝を制定した文武天皇からでは83人目にあたりますから、元号の方が随分多いことになります。
 これは一人の天皇が平均すると2から3の年号を用いたことになります。
 それは中国と同様に、瑞祥が現れたときや、逆に天災や戦乱のときに改元されてきたからです。
 しかし明治維新のときに「一世一元の詔(みことのり)」によって、天皇の代毎に改元することになり、現在は1979年に制定された「元号法」によって一世一元の制度が維持されています。

 現在、元号の使用を義務づける法律や、使用しない時の罰則はありませんし、「元号法」を制定する時の国会審議でも「元号法は元号の使用を国民に義務づけるものではない」という政府答弁がなされていますが、外国で使用されるパスポートを例外として、国や地方自治体の公文書では元号が使われています。
 これに対しては、
  外国で通用しない
  1989年は昭和64年と平成元年のように1つの西暦に2つ以上の元号が対応す
  るときにコンピュータ処理が煩雑になる
  改元の場合に印刷物に記載されている旧元号を新元号に修正するのに時間と費用が
  かかる
  元号がまたがった期間の年数の計算が面倒である、
 などの理由で西暦を使うのがいいという意見もありますが、世論調査では元号維持派が優位です。
 確かに便利さでは西暦などの紀元方式が優れていますが、日本の歴史を考えると元号も重要な意味があり、平成21年(2009年)のような併記が良いのではないかと思います。

 ところで現在の平成という年号ですが、『史記』の「内平外成(内平かに外成る)」や『書経(しょきょう)』の「地平天成(地平かに天成る)」を由来とするということです。
 しかし、平成の「平」には楯を意味する「干(かん)」、「成」には鉾を意味する「戈(か)」が含まれ、合わせた「干戈(かんか)」は戦争を意味するとか、12世紀の「平治」以来、「平」の字で始まる元号が無いのは、平治の乱で社会が混乱したので使われなかったからという反対意見もありました。
 ぜひ、本来の意図であるように、社会が平らかに成って欲しいと思います。





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