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論文

 日本時間では来週月曜日の23日になりますが、アメリカのロサンゼルスで第81回のアカデミー賞の授賞式が開かれます。
 今回は外国語映画賞部門の候補作5作の一つに日本映画『おくりびと』が選ばれており、受賞に期待が集まっています。
 今年のアカデミー賞の候補作などについては、様々に報道されていますので、今日はアカデミー賞そのものについて歴史などをご紹介したいと思います。

 アカデミー賞と言えばハリウッドということになりますが、まず名前から誤解されています。
 日本では「聖林」、すなわち神聖なる林と訳されていたことがありましたが、これは神聖というHOLYと、一帯に生えていたカリフォルニア・ホリー(HOLLY)という木の「L」が重なる言葉を間違えたものです。

 現在ではロサンゼルス市の一部であるハリウッドが映画の中心地になったのには興味深い歴史があります。
 映画という技術はアメリカの発明王エジソンが発明したと言われる事があります。確かにエジソンは1891年に撮影用の機械「キネトグラフ」と観賞用の機械「キネトスコープ」の特許を取得していますが、このキネトスコープは小窓から一人で覗く仕組でした。
 その頃、何人かの発明家が壁面に映写して多数の人々が同時に見る事のできる装置を研究していましたが、エジソンも多くの実業家と同じ失敗をしました。
 エジソンは「現在の覗き式装置を作り良い値段でたくさん売っている。スクリーン式機械を生産すれば、合衆国全体で10台もあれば十分だろう。金のタマゴを生むガチョウを殺してはならない」といって開発をしなかったことと、弁護士の勧めにも関わらず、ヨーロッパでの特許を取得しなかったことです。
 その結果、投影式の映画の発明の栄誉は1895年に「シネマトグラフ」の特許を取得したフランスのリュミエール兄弟に与えられることになりました。

 多大な影響力をもつエジソンが投影式の映画の特許を取得しなかったために様々な発明家が発明をし、特許紛争が勃発しました。
 そこで1908年に映画制作者、映画関連機器製造業者たちが集まって、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(映画特許会社)を設立し、この組織に参加しないで映画を制作すると、高額の特許料が請求され、カンパニーの一員であったコダック社からフィルムが購入できないという事態になりました。
 カンパニーは探偵を雇って違反者を摘発したため、カンパニーに参加しない映画製作者は、当時の映画の中心であったニューヨークやシカゴから遠く離れた西部に移動して、探偵の追跡を逃れながら映画を制作するようになりました。
 そして選ばれた場所がハリウッドだったのです。ここは乾燥地帯で晴天が多く、映画の撮影に適していたことと、追っ手がくればメキシコとの国境を越えて逃げる事の出来る適地だったのです。
 1911年に15の映画スタジオが設立されますが、1915年に映画特許会社が独占禁止法違反であると判定されて会社が消滅し、その構成員であった映画製作会社もハリウッドに本拠を構え、現在の映画の世界拠点の一歩を踏み出したのです。

 次はアカデミー賞の歴史です。アカデミーという言葉を聞くと、学会か研究機関が主催する賞のようですが、もともとは労働組合対策として出現したものです。
 ハリウッドが映画の中心地になり、多数の人々が働くようになった結果、1920年代になって小道具や照明などの専門の職人が労働組合を結成し、映画会社と労働条件や賃金について協定が結ばれることになりました。
 この動きが俳優、脚本家、監督にまで拡大していくと、経費が膨大になると心配したMGM映画会社の総支配人であったルイス・メイヤーが労使協調の組織を作ろうと考え、1927年に「映画芸術科学アカデミー」を結成しました。
 会長は当時の有名スターであるダグラス・フェアバンクスが就任し、会員には『十戒』を製作したセシル・デミル監督、後に『頭上の敵機』『キリマンジャロの雪』などの名作を製作したヘンリー・キング監督、ワーナー映画社を創立したワーナー兄弟など大物36名が創設会員として参加しました。

 表向きの目的は「映画芸術および科学の質の向上を図ること」でしたが、本当の目的は組合対策でしたので、「優れた業績を表彰」するアカデミー賞は付け足しで、経営者側は関心がありませんでした。
 しかし、俳優のフェアバンクスと妻の女優メアリー・ピックフォードが熱心で、1929年5月16日に200名ほどが参加したディナーパーティの形で第1回の授賞式が開催されました。
 資料などには1928年が第1回となっていますが、これは1928年に上映された映画を対象にしているという意味です。
 現在と同様に5作品が候補作となり、第一次世界大戦を舞台にした『つばさ』が作品賞に選ばれています。

 それ以後のことについては多数の本が出版されていますので、興味ある方はご覧いただくとして、今日は、かつてコンピュータで映画を制作していた私が32年前に翻訳した『映画の考古学』という本が今月、32年ぶりに復刊されましたので、3冊をプレゼントさせていただきたいと思います。





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