TOPページへ論文ページへ
論文

 この2週間、オーストラリアに出かけており、前半はオーストラリア大陸の中央部分の砂漠地帯を旅行し、先々週、現地から放送させていただきましたが、後半はオーストラリア大陸の北部アーネムランドを旅行しましたので、そこでの経験をお話しさせていただきたいと思います。

 この地域にカカドゥ国立公園に制定されている広大な場所があります。オーストラリア大陸自体が日本の面積の20倍もありますから、国立公園の規模も桁違いで、釧路湿原国立公園の100倍という面積ですが、いくつか興味深い経験をしました。
 この公園の内部には舗装してある2本の高速道路と、赤土のままの数本の一般道路がありますが、「フラッドウェイ(Floodway)」という道路標識が頻繁に出てきます。翻訳すれば「水没道路」ということになると思います。
 この国立公園の半分くらいは湿地帯で、道路はその上部に地形の高低のままに建設されています。
 そこで12月から3月の雨期になると、湿地帯の水位が2メートル近く上がり、その時期には道路が水没してしまうというわけです。
 今の時期は雨期の終わりですが、それでも何回も数十センチメートルの水没道路を横断しました。
 そこで、さらに興味あるのは、ディーゼルエンジンの自動車であれば、シュノーケルを着けて1メートル程度の水の中まで走ることができますので、雨期でも自分の判断で水没道路を走って良いということです。
 ただし、川のように道路を横断している水の流れを見誤ると、湿地の方に水の勢いで流され、ワニの餌食になってしまうことで、毎年、死亡する人が出るそうです。
 日本であれば、いつも水没する道路などとんでもないということで橋を架けたり高架道路にするし、ワニの危険がある場所は通行止めということですが、自然のままに道路を造り、自己責任で走りなさいという訳です。

 もうひとつ驚いたのは、国立公園の内部ですが、ほとんどの地域で定期的に野焼きが行われているということです。
 西洋の環境保護思想には「原生自然(wilderness)」という、人間の手が一切入っていない自然を守るという考え方があります。
 ところが、カカドゥ国立公園の地域は何万年間もアボリジニの人々が生活して野焼きをしてきた自然で、原生自然ではありません。
 そこでその方法を受け入れて、自然を維持する目的で野焼きをしているのですが、これによって森林が更新されると同時に、大火にならないのだそうです。
 今年になってオーストラリア南部で大規模な森林火災があり、多数の人命が失われるという大災害がありました。
 その原因は環境保護団体が野焼きは環境破壊になると反対してきたため、長年、野焼きが行われてこなかったために大規模な山火事になったという意見もあります。
 西欧の環境保護思想はせいぜい数百年の歴史しかないもので、何万年も自然とともに生活してきた先住民族の知恵には及ぶべくもないということです。

 もう一カ所、アボリジニの人々が生活している場所に行きました。
 野原に1軒の建物があるだけの空港から、途中にまったく人気のない赤土の道路を自動車で3時間半走った先にある人口が140〜150人の集落です。
 同行したテレビジョン番組のディレクターが「先生、これから行く場所は、おそらく日本では初めて紹介される秘境ですよ」ということで、テント、寝袋、トイレットペーパー、発電機などを自動車2台に積んで行きました。
 確かに到着したところは、海岸沿いの広い草原に十数軒の平屋がバラバラに立っているだけの集落でした。
 そこでまず酋長に挨拶に行ったところ、顔つきはアボリジニの特徴を備えた人物でしたが、派手なアロハシャツを着て「よく来た。それではまず酋長室を案内しよう」ということで、小屋に入ったところ、インターネットに接続された最新のコンピュータが2台置いてあり、「これで毎日、世界各地と連絡をしているよ」ということでした。
 そして「宿泊にはここを使いなさい」と案内された建物には、最新のパナソニックの50インチのプラズマディスプレイのテレビジョンが壁に架けられ、電気も水道も水洗便所もあり、寝泊まりした部屋にはエアコンも完備で、唖然としました。
 さらに「これまでここを撮影した番組のライブラリーが100本以上あるから、参考に見るかい」ということで、世界で未開の地を探すのは難しいと実感しました。

 しかし、海岸へ行くと10数人の人が寝そべっており、時々、海に入って魚を捕り、その場で焚き火で焼いて食べては、また寝そべるという生活でしたし、必要になれば周辺の森で天然の果物を取ってきて食べるという天国のような状態でした。
 何よりも、何一つ心配のなさそうな、屈託のない笑顔が幸福そのものでした。
 しかし、現金収入を得るためにホテルを建てるという構想もあるようです。
 渡辺京ニさんという方が書かれた『逝きし世の面影』という、江戸末期から明治初期に日本に来た外国人が当時の日本をどのように見ていたかを記した名著がありますが、そこには、何人もの外国人が「日本は現存する世界唯一の天国であるが、その国が我々の文明を導入しようとしている。それによって、この天国が滅びていくと思うと悲しい」と記していることが紹介されていますが、その再現ではないかと思いました。

 それは文明国から来た人間の勝手な思い込みで、アボリジニの人々に取っては水洗便所や電気や水道があったほうが良いのでしょうが、進歩するという言葉を考えせる経験でした。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.