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論文

 先週に続いてモンゴル国についてご紹介させていただきますが、今週は首都ウランバートルから南の方に直線距離で350kmほど行ったゴビ砂漠です。
 今回は最初の数10kmは簡易舗装程度の舗装道路でしたが、そこから先は北の方へ行くのと同様に、草原の中の道なき道を走るという電動マッサージ椅子状態でした。
 自動車には、もちろんカーナビゲーションも付いていませんし、GPS装置も無く、地図も200万分の1程度のものだけで、しかも、運転手は今回の目的地に行くのは初めてだということでしたから、良く到着できると感心しました。
 ほとんどすれ違う車も無いので、所々で遊牧の人が滞在しているゲルに立寄って道筋を訪ね、時々、太陽の角度で方角を推定している程度ですから、我々にはできない芸当でした。
 さらに驚いたのは、10年近く使っている自動車のため、良く故障するのですが、パンクしたタイヤのチューブを補修するのは当たり前で、ブレーキの油圧系統が不調になったときや、エンジンをかけるセルモーターが故障したときも、すべて1人で直してしまい、ワイパー以外に電気系統がほとんどない機械式の自動車ならでは利点を実感しました。

 南に進んでいくと、草原の緑が少しずつ色褪せていき、次第に雨の少ない砂漠地帯に近付いていくことが分かります。
 日本人は砂漠という言葉を聞くと、一面、砂だけという光景を思い浮べますが、英語では「アリッド・ゾーン」と言う乾燥地帯で、まったく草が無いわけではありません。
 降雨量も場所によりますが、50mm〜200mmくらいはあり、実際、滞在しているときも1時間くらい、日本で言う「お湿り」程度の雨が降ったこともありました。
 そこで今日は、そのような乾燥地帯で生活する住居を中心にご紹介したいと思います。

 遊牧の人々が生活する住居は「ゲル」と言いますが、家畜にとって最も適した草地を求めて、1年に最低でも5回、多い時には数日で場所を移動しますから、このゲルはきわめて簡単に解体し、組立てることが出来るようになっています。
 実際に住んでいるゲルを解体し、組立てる実演を見せてもらいましたが、内部にある家財道具を運び出し、解体するのに3人で1時間弱、組立てるときも1時間弱という早業でした。

 組み立ての方法を先に説明すると分かりやすいと思いますが、最初に平らな場所を選び、折りたたみ式の格子になった「ハン」という円形の壁の骨組みを広げます。
 これは広げると高さ1・5m、巾4mほどになり、これを5枚組み合わせると、直径8mほどの円形の壁の骨組みができます。そして必ず南側に入口になるドアを置き、すべてをヒモで結びつけます。
 次に円形の中央に天窓になる「トーノ」という丸い木枠を2本の「バガン」という柱で支えて建てます。その「トーノ」と周辺の壁である「ハン」の間に66本から80本程度の「オニー」という細い木の棒でつなげば建物の骨格は完成です。
 次に、壁の外側を装飾用の布、保温用のフェルト、防水用の材料で3重に巻き、屋根も同じように3重に覆い、それらをヒモで巻いて固定すると、釘などを1本も使わずに約50平方メートルの住宅が完成という訳です。
 現在では組立てキットのようにして販売もされているようですが、かつてはすべて手作りで、しかも、付近の山の材木、自分で飼っているヒツジの毛で作ったフェルト、ラクダやウシの皮で作ったヒモなどを材料としており、地産池消どころか、自産自消です。

 一見、頼りなさそうな建物ですが、風速20mほどの風が吹いたとき、我々のテントは壊れそうになりましたが、ゲルはビクともしませんでした。
 しかも暑い時は周囲の覆いの裾を少し開ければ風通しが良くなり、2日ほど寝ましたが、快適な生活でした。
 そして重要なことは、解体してみると、ゲルがあった場所の草に太陽が当たらないために、円形に変色する以外、まったく痕跡を残さないことです。
 現在では分解した材料を自動車で運んでいますが、1台のワゴン車と後ろに付けた荷車で2軒分の材料をすべて輸送できるほど、わずかな材料で出来ています。
 やはり砂漠地帯で絶えず移動する生活に合わせて工夫してきた伝統を実感しました。

 この環境に適合した生活という点で、もう一つ伝統の知恵を感じたことがあります。
 モンゴルでは先週ご紹介した北の方のダルハド盆地でも、今回のゴビ砂漠でも、5畜といって、ヒツジ、ヤギ、ウマ、ウシ、ラクダの5種類の家畜を同じ場所で放牧しています。
 これは、それぞれの家畜が食べる草の種類が異なるので、一緒に放牧しておいても競合しないだけではなく、ヒツジの中に少数のヤギを混ぜておくと、群れの行動がバラバラにならないなどの利点もあるそうです。
 このようにして2000年以上、乾燥地帯の厳しい自然の中で環境を維持しながら生産を続けてこられたのだと思います。
 ゴビ砂漠の中央で南北に分断されたモンゴルの南側の内モンゴル自治区は戦後になって中国が農耕による定住政策を推進したため、短期間で砂漠が拡大しており、遊牧が気候風土に適合した生産方式だということが分かりました。





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