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論文

 1980年代に会社の寿命30年説が流行したことがありました。
 『日経ビジネス』が1896年から1982年までの約90年間について、ほぼ10年毎に資産総額が上位100位までの会社を調べたところ、ある企業が上位100位以内に留まっている期間は平均すると30年程度だという結果になったということから、寿命30年説が導かれたというわけです。
 丁度同じ時期に、アメリカの会社について、1917年から1985年の約70年間について同様の研究をした『生き残り企業』という書籍が出版されましたが、その結果でも資産総額の上位100位以内に留まる期間は30年弱ということで、俄然、企業の全盛期は30年という説が話題になったというわけです。
 もちろん、会社が30年で倒産したり消滅したりするというわけではなく、上位100番以内には留まれなくても、大半の会社は存続しているわけです。

 それではどの程度の期間、会社が存続するかということに興味が湧きますが、今月12日に、東京商工リサーチという民間信用調査会社が、日本の会社198万社について、創業以来100年以上続いている長寿会社を調べた結果を発表しました。
 結果は2万1066社が創業100年以上という数字になっており、都道府県別に見ると、もっとも多いのが東京都の2377社で全国の約11%、2位が大阪の1168社で全国の5・5%です。
 ところが昨年5月、韓国銀行が世界41カ国の創業200年以上の会社を調べた『日本企業の長寿要因および示唆項目』という調査報告書を発表しています。
 その題名からも、何となく日本に長寿企業が多いような雰囲気ですが、その通りで、何と世界に存在する創業200年以上の5586社のうち56%にあたる3146社が日本企業だということです。
 参考までに、2位はドイツの837社で全体の15%、3位がオランダの222社で4%、4位がフランスの196社で3%です。
 そして意外なことに、日本より歴史のある中国には9社、インドには3社しかないという結果です。

 宗教団体を別にすると、世界最古の会社も世界最古の旅館も日本にあります。
 最古の企業は大阪にある「金剛組」で、聖徳太子が法隆寺、広隆寺、中宮寺など七つの寺院を建立するときに、当時の技術先進国であった百済から3人の宮大工を招致しますが、その1人が四天王寺を担当した金剛重光で、そのまま日本に残り、578年に創設したのが金剛組ですから、今年で1432年の歴史があることになります。
 長年、四天王寺の維持の仕事を中心に寺院建築を手掛け、金剛一族が経営を続けてきました。
 しかし、寺院建築が減っているうえに、コンクリートで建設する場合が多くなり、木造建築専門の金剛組は経営が困難になり、2005年に高松建設の子会社になっていますが、現在も木造建築の仕事を続けています。

 世界最古の旅館は石川県小松市の粟津温泉にある「法師」という名前の旅館です。
 北陸の霊山である白山を開いた泰澄大師が白山に登る時に道案内をした笹切源五郎の次男で、大師に弟子入りした雅亮法師に温泉の発掘をさせ、そのまま還俗(げんぞく)させて旅館を営ませたという謂れのある旅館で、創業が718年ですから今年で1292年になります。
 法師は現在の当主が46代目で一族が経営を継承し、世界最古の旅館としてギネスブックに登録されています。

 日本には創業1000年以上の会社が6社、500年以上になると17社、200年以上になると、先程の韓国銀行の調査によると3000社以上になりますから、世界一の長寿企業の存在する国です。

 その理由は様々ですが、外的要因としては、応仁の乱などの内戦や第二次世界大戦の空襲などがあったものの、国全体が戦火に襲われることが少なく、また南北朝時代の混乱はあったものの、国全体が分裂することもなかった平和な国家だったことが挙げられます。
 しかし、より重要なことは、会社の経営理念が明確であったことだと思います。
 長寿企業に共通する特徴を要約してみると、以下の4点なると思います。
 第一は顧客本位です。自社の利益以前に顧客の利益を考え、例えば、粟津温泉の法師では、従業員の仕事はおもてなしの修行をして徳を積むことだとされているほどですし、石川県金沢市にある釣針の会社で創業400年以上の「目細八郎兵衛」では、「利欲にうとく義理にさとし」という家訓があるそうです。
 第二は一社独占ではなく競争会社があることです。豆を原料とする赤味噌は愛知県岡崎市だけで生産されていますが、ここには道路を隔てて「まるや八丁味噌」と「八丁味噌」という2社が向かい合っています。その競争意識が2社を存続させてきたと思います。
 第三は不易流行です。生業を変える訳ではありませんが、絶えず新しい製品を作る努力をしてきたことです。兵庫県姫路市に870年の歴史のある「明珍」という有名な鍛冶屋があります。
 もともとは鎧兜の名工でしたが、明治時代になり需要が無くなった時には火箸を作り、戦後、火箸も使われなくなった時には、その火箸で風鈴を作って鍛冶の仕事を存続させてきました。
 第四が拡大を目指さないことです。東京商工リサーチの調査では100年以上続いている会社の多くは年商5億円以下だそうです。
 巨大企業になると、社会の変化に対応して仕事を維持するのは大変ですが、中小企業や零細企業であれば、「明珍」が好例ですが、新しい展開をすることも比較的容易です。
 現在、大変な不景気で多くの会社が困難に直面しておられると思いますが、何百年も維持されてきた会社の経営も参考になるのではないかと思います。





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