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論文

 私は大学の建築学科を卒業しておりますし、森本さんは多くの建築家と対談され、その内容を出版もされていますので、今日は京都の南西にある「桂離宮」をご紹介したいと思います。
 桂離宮は日本の庭園建築のベストテンに入るほどの施設ですが、昭和の初期までは、それほど人気のない建物で、多くの日本人は日光東照宮のほうを愛でていました。
 ところが、ある事を契機にして、桂離宮は日本を代表する建物に変貌します。

 1933年5月3日、ユダヤ人の建築家ブルーノ・タウトがナチスの追求から逃れて、夫人とともに福井県の敦賀港に上陸します。
 タウトは毎年の誕生日には、滞在している場所で最も優れた建物を見る事にしており、翌日の5月4日が誕生日だというので、日本の受け入れ側の人々が配慮して桂離宮に案内します。
 その時の気持を「泣きたくなるほど美しい印象だ」と日記に残しているほど、この建物に一目惚れし、絶賛します。
 一方、日光東照宮には5月21日に見学に行きますが、「すべてが威圧的で親しみがない」「いかものだ」「建築の堕落だ」と酷評しています。
 日本人は現在もあまり変わっていませんが、西欧の人間が褒めたり貶したりすると、その意見を信奉し、瞬く間に桂離宮を賞賛するようになったというわけです。

 その桂離宮は、江戸時代の初期1615年に正親町(おおぎまち)天皇の長男である陽光院誠仁(さねひと)親王の六番目の子供である八条宮初代智仁(としひと)親王が京都の南西にある下桂村に建設した別荘です。
 この智仁親王は数奇な運命を辿った方で、1588年、9歳のときに子供の無かった関白豊臣秀吉の養子になり、後継者になる予定でした。
 ところが翌年、秀吉の側室淀君に子供鶴松が生まれたので邪魔になり、秀吉は急遽、八条宮家を創って智仁親王を追い出してしまいます。
 ところが鶴松が三歳で死んでしまったので、秀吉の甥である秀次が養子になりますが、またまた淀君に秀頼が生まれたため、可哀想に秀次は無理矢理、切腹させられてしまいます。
 そして、この秀頼は1615年の大阪夏の陣で淀君とともに自決することになります。
 場合によっては自分が切腹を命ぜられていたかも知れないし、徳川家康に滅ぼされていたかも知れないというような無情の気持が桂離宮造営の背景にあり、我々もそのような歴史を汲んで桂離宮に簡素の美を感じるのだと思います。

 ところが1976年から5年間、創建以来の大修理を行ったところ、金箔を貼った部分があることが分かるなど、意外に「わび・さび」的な建物ではなく、雅やかな建物であったということになりました。
 ブルーノ・タウトも、その意見に影響された我々も、古い建物の塗料の剥げた木の肌が露になった状態に心引かれますが、本来は違っていたのです。

 それはさておき、この桂離宮には多くの秘密があります。
 桂離宮には、池の周りに松琴亭(しょうきんてい)、賞花亭(しょうかてい)、笑意軒(しょういけん)、月波楼(げっぱろう)という4棟の茶屋が建てられています。
 それまでの寝殿造りでは、すべて建物は南向きに建てられ、結果として建物が平行に配置されているのですが、桂離宮では建物が大きくは東に向いていますが、それぞれ微妙に方向が違います。
 その秘密を明らかにしたのが宮元健次さんという建築家で、キーワードは「月見」ということです。
 1615年当時の月の出の方向を計算してみたところ、月波楼は中秋の名月の出てくる方向、笑意軒は春分の日に月の出てくる方向、松琴亭は冬至の日に月の出てくる方向と完全に一致しているということで、すべて月を眺めるために作られた建物という訳です。
 そして当時の一般の建物よりも床の高さが異常に高い上に、庇が大変に短いのも、逸早く月の出を眺めるための建物と解釈すれば、辻褄があうということなのです。

 第二の秘密は桂離宮は和風建築の代表のように思われていますが、実は西洋建築の影響が非常に大きい建物だということです。
 例えば、内部の道路は次第に幅が狭くなる形になっていますが、これは道路を長く感じさせるための透視図効果(パースペクティブ効果)と言われ、西洋から取り入れられた技法です。
 また、正面玄関にあたる御輿寄にある「真の飛び石」の縦横比が1対1・618という黄金比になっているし、書院の建物の平面や立面にも黄金比が採用されています。
 そのような知識の背景にあるのが、智仁親王と何人かのキリシタン大名の親交であり、また丹後のキリシタン大名京極高知(たかとも)の娘常子と結婚したことです。
 そのため、池の周りに置かれている7つの石灯籠は「織部灯籠」といわれる形をしていますが、これらは別名「キリシタン灯籠」とも言われ、地中に埋められた部分にはマリア像が掘られています。

 まだまだ桂離宮には様々な秘密がありますが、それらを知って見学すると、日本の「さび・さび」精神を象徴する建物と思われている桂離宮もまったく違って見えてくると思います。
 桂離宮は現在では宮内庁が管理し、原則として平日のみ見学可能ですが、事前に宮内庁に葉書かインターネットで申し込む必要があります。この春に見学されるのも良いのではないかと思います。





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