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論文

 大変な猛暑で、隠居状態の私は外出するときも、短パン、Tシャツ、サンダルが普通なのですが、先日、一流ホテルで大企業の社長就任披露宴があったので、流石に背広、ネクタイではないと失礼だろうと思い、数ヶ月ぶりに正装していったところ、すべての来客が正装で、着ていって助かったという気持ちでした。
 考えてみると、ほとんどの来客は車寄せから車寄せへ運転手付きの自動車で移動されるので問題ないのですが、徒歩、地下鉄利用の人間としては、クールビズを徹底してほしいという気持ちでした。

 この日本に定着している背広の語源については、いくつかの説があります。
 ・軍服(ミリタリー・ユニフォーム)に対して市民服(シヴィル・クローゼズ)から転訛した
 ・ロンドンの高級洋服店が並んでいるサヴィル街(サヴィルロウ)から転訛した
 ・スコットランドの羊毛の産地シェヴィオットから転訛した
などですが、いずれもイングランドからスコットランドにかけての話です。
 そのロンドンは北緯51度で、日本付近ではサハリンの中央部分、スコットランドのエジンバラは北緯56度でカムチャッカ半島の中央部分に相当しますから、北緯36度の東京の夏に着るのは無理があるということです。
 参考までに8月の平均気温を比較してみると、ロンドンは気温16・8度ですが、東京は27・1度ですから、そもそも背広を着る気候ではないのです。
 ちなみに、北半球の主要都市で東京に近い気温の場所を調べてみると、北緯7度にあるスリランカのコロンボ(27・6度)、北緯4度にあるマレーシアのクアラルンプール(27・0度)と同じですから、ほとんど熱帯です。

 したがって、江戸時代の浮世絵を見てみると、庶民はフンドシ一丁という姿が普通ですし、福沢諭吉が大阪の適塾で勉強していた1855年から57年頃には、塾生がふんどしも着けずに全裸で勉強していたと、自伝に書いてあるそうです。
 また1854年にペリー提督に随行した宣教師は「婦人たちは胸を隠そうとしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩く」と記録しています。

 ところが、明治時代になって文明開化、脱亜入欧の流れの中で、国民が裸で生活していると、西欧人に野蛮だと思われるという思惑で、明治元年には横浜で、明治4年には東京で「裸体禁止令」が出され、明治5年には混浴も禁止する条例が出されます。
 さらに範を示すということで、明治天皇の意向により、宮中の行事は洋式でおこない、服装は洋装にするということになり、和服ではなく、洋服が正式の服装になるという動きが顕著になります。

 しかし、大森貝塚を発掘したことで有名なアメリカの動物学者エドワード・モースが明治10年6月に日本に到着したとき、フンドシだけの男、腰巻きだけの女が多くて驚いたと記していますから、庶民には徹底はされていなかったようです。
 それでも、西欧人の目を気にする政治家や役人によって、次第に裸は許されなくなります。
 新聞も同様で、明治9年には裸で商売をする相撲は国家の恥という記事まで登場し、相撲廃止論まで議論されます。
 しかし、幸いなことに、相撲が好きであった明治天皇の意を受けた伊藤博文が明治17年に天覧相撲を実現させ、廃止には至りませんでした。
 そのような潮流の中で、民俗学者の柳田邦男は1924年に出版した『木綿以前のこと』という本に、「何でも見れば真似をして、上から下からと色々と余分なものを取り重ね、羽織だ、コートだ、合羽だ、塵よけだと、だんだん包み込んで、今のような複雑きわまる衣装国にしてしまった」と書いているように、伝統を失った、しかも8月の平均気温が東京と比べて10度も涼しい高緯度地方の服装を亜熱帯で着用する国家になってしまいました。

 先日、旅行してきたミクロネシアのヤップ島では、日本とは逆に公式の場所では伝統的服装を着用するようにという政府の通達があるようで、空港に到着したところ、出口のところで上半身裸の若い女性が出迎えて花輪を首にかけてくれましたし、テレビ番組のための撮影をお願いしたときは、男性はフンドシ姿で登場してくれました。

 1970年に大阪で開催された日本万国博覧会で、お祭り広場の照明や音響の制御システムを設計したので、その計画の会議に出ていたときに、明治以来の西欧人の目を気にする風潮が、現在にも続いていることを実感したことがあります。
 8月に、お祭り広場で盆踊り大会を盛大にやろうという話題になったとき、外務省から派遣されていた役人が、訳知り顔に「盆踊りのときに着る浴衣は寝間着ですから、海外から来られた人の前で着用するのは失礼にあたります」と発言したことがありました。
 そのとき岡本太郎さんが「きみ、馬鹿なことを言うんじゃない。オリンピック大会を見てみろ。人前でパンツ一丁で走り回っているじゃないか」と発言され、政府高官の面子の手前、拍手喝采はありませんでしたが、一件落着したことがありました。
 ヤップ島のように伝統を守ることが、ここまで西欧社会に倣ってしまった日本に適切かどうかは別にして、少なくともヒートアイランド現象の影響で、ますます酷暑になる日本の都会では、クールビズ以上の服装のあり方を考えるべきではないかと思います。





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