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論文

 猛暑が続いて、7月の1ヶ月間に熱中症のため救急車で病院に運ばれた方が全国で約1万8000人、亡くなられた方は94人にもなっています。
 統計が採られはじめた一昨年には、患者が1万3000人弱で33人が亡くなられていましたので、今年の猛暑の程度が推定できます。

 これは国民にとっては災難ですが、神風となっている業界もあります。
 ビールやアイスクリームや清涼飲料などは当然で、ある清涼飲料企業の日本茶やウーロン茶の7月の販売量は昨年7月の17%増、ある乳業会社のアイスキャンデーの売上は60%増という好調さです。
 より大型の商品では、一部の量販店の数字ですが、7月の冷蔵庫の売上が昨年の50%増、扇風機は250%増、エアコンは300%増、すなわち3倍も売れているということです。
 これは業界にとっては結構なことですが、環境問題やエネルギー問題を考えると手放しで喜ぶ訳にもいかないと思います。

 そこで飛躍するようですが、冷蔵庫も扇風機もエアコンもなかった時代には、人々はどのように猛暑を凌いでいたかを振り返ってみたいと思います。
 今年、全国各地で打ち水大作戦が行われています。これはいくつかのNPOが中心となって、2003年から始めた運動で、暑さがもっとも厳しい7月23日の「大暑(たいしょ)」から、暑さが和らぎはじめる8月23日の「処暑(しょしょ)」までの1ヶ月間、風呂の残り湯や貯めておいた雨水を道路に撒き、都心の気温を2℃ほど下げようという趣旨です。
 時代劇には、撒いていた水が侍にかかって問題になるという場面がありますが、道路の埃を抑えるとともに、涼しくするという目的で、ごく普通に行われていました。

 次は「夕涼み」です。浮世絵には川端や船の上で夕涼みをしている美人画が数多くありますが、先週もお伝えしましたが、江戸時代の庶民は、男はフンドシ、女は腰巻きのみで、上半身裸でしたから、「夕顔の夜露でててら二布(ふたの)ぬれ」というような夕涼みの川柳も残っています。二布(ふたの)とは二枚の布と書きますが、フンドシと腰巻きのことで、布が夜露で濡れるだけではなく、男女の間も濡れることを連想させる内容です。
 そのような浮世絵の美人画に付き物が団扇で、美人が団扇を持った名画は数多くあります。

 団扇は簡単な道具ですから、古くから使われており、弥生時代や古墳時代の遺跡からも木で作った団扇が出土していますし、奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画にも、女性が団扇を持っている絵が描かれています。
 しかし、その絵を見ても分かるように、それらは長い柄のついたもので「翳(さしば)」と呼ばれ、貴族や僧侶の姿を隠すための道具でした。
 そして平安時代の10世紀に編纂された律令制度を実施するときの細則を定めた「延喜式」には「翳」についての規則が記されています。
 もう一つの団扇の変形が「軍配」です。上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の合戦で、一人で馬に乗って上杉謙信が武田信玄の本陣を襲撃しますが、そのとき謙信が振り下した刀を信玄が軍配で受け止めるという有名な場面がありますが、この信玄が手にしていたのが「軍配団扇」で、もともとは軍隊を指揮する道具で、柄も長いものでした。

 そこの団扇が炊事で火を起こすときの道具や涼むときに使う道具に発展し、日常生活に浸透してきたのが江戸時代です。
 17世紀に作られた「職人尽図屏風」や「しょくにんつくし図巻」、当時の百科事典である「人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)」などには団扇を作っている家内工業の様子が描かれていますが、17世紀末から18世紀にかけて、淋派の絵師が団扇や、日本で8世紀に発明された折りたたみ式の扇子に草花などの絵を描くようになり、次第に芸術品になっていきます。
 そして江戸後期になり、版画の浮世絵が流行するようになると、初代歌川豊国、歌川国貞、歌川国芳などの美人画や役者絵を描いた美しい団扇が数多く作られて江戸土産となり、それらの団扇を担いで町中を売り歩く「団扇売り」の商売も登場しました。
 さらに、商家が顧客に暑中見舞いの目的で配るようになり、団扇の生産が飛躍します。

 このような広告目的の団扇は明治時代に流行し、全国各地に団扇の産地が誕生しますが、それらの中で三大産地といわれる場所があります。
 京都の「京団扇」と香川の「丸亀団扇」は確定ですが、三番目は熊本の「来民(くたみ)団扇」とする説と千葉の「房州団扇」とする説があります。
 京団扇は都団扇とも言われ、扇面と柄が別々に作られ、柄の間に扇面を差し込む形式に特徴があります。
 京都の土地柄から禁裏御用品ともなり、高級品が多く、現在では国の伝統的工芸品に指定されています。
 香川県丸亀市は現在では日本の団扇生産の90%を占める産地ですが、1633年に金比羅神社が扇面の中央に○に金の字を描いた団扇を金比羅神社参拝の土産物にしたために大流行し、昭和30年には年産1億2000万本を生産する大産地でした。
 熊本の来民団扇は丸亀から製法が伝えられたものですが、江戸時代に藩主が地場産業として推進した結果、三大団扇のひとつに挙げられるまでになりました。
 そしてもう一つの三大団扇の候補が房州団扇です。安房は竹の産地で、江戸団扇の竹材の供給地でしたが、1923年の関東大震災のとき、焼け出された東京の江戸団扇職人が大量に移住して本格的な産地になりました。
 部屋全体を涼しくするエアコンも結構ですが、自分で扇ぎ、伝統文化を想いながら涼をとる団扇もなかなか風情があると思います。





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