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論文

 昨日から函館に来ておりますが、この函館と関係のある1冊の本をご紹介したいと思います。
 一般には、安政5(1858)年6月19日(7月29日)に締結された「日米修好通商条約」によって、箱館、横浜、長崎の3つの港が開港されたことになっていますが、その4年前の嘉永7(1854)年に浦賀に再度訪れたペリー提督の圧力により、3月3日(3月31日)にアメリカと日本の間に「日米和親条約」が締結され、限られた目的の寄港だけについては下田と箱館が開港されています。
 そのペリー提督は『日本遠征日記』を残していますし、その前後から明治初期にかけて数多くの外国人が日本を訪れ、旅行記や手記や日記を残しています。
 そのような当時の記録を200冊以上も丹念に読み、当時の日本を、外国人がどのように観察し、理解していたかを分析した名著があります。

 渡辺京二さんの書かれた『逝きし世の面影』という書物です。
 これは1995年から翌年にかけて『週刊エコノミスト』に連載された内容をもとに、98年に刊行された本ですが、連載当時から注目されていた内容です。
 渡辺京二さんは今年で80歳になられる熊本在住の歴史家ですが、江戸から明治にかけての思想史について数多くの本を書かれておられ、今年も『黒船前夜:ロシア・アイヌ・日本の三国志』という本を出版され活躍しておられます。
 本題の『逝きし世の面影』は和辻哲郎文化賞も受賞した名著ですが、500ページ近い大著なので、現在の日本を考える上で、私が重要だと思う2点だけを紹介させていただきたいと思います。

 第一は、日本は当時の世界においてほとんど唯一といっていいほどの豊かで幸せな国だと、多くの外国人が感じていたことです。
 いくつかの言葉を紹介しますと、1856年に日本に着任したばかりのアメリカの公使タウンゼント・ハリスは、下田付近の村を見て「住民の身なりはさっぱりしていて態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが少しも見られない」と書いています。
 プロシャの商人リュードルフはさらに「日本は天恵を受けた国、地上のパラダイスであろう。人間がほしいと思うものが何でも、この幸せな国に集まっている」と書き残しています。

 その幸せな日本人は外国人にも親切で、1878年に東京から北海道まで旅行したイギリス人の女性旅行家イザベラ・バードが東北地方の宿に着いたとき、馬の革帯が無くなっていることに気付くのですが、馬子が「もう暗くなっていたのに、その男はそれを探しに一里も引き返し、私が何銭かを与えようとしたのを、目的地まですべての物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ」と書いています。
 さらに東北の山の中の茶屋で休憩したとき「女は、休息した場所で普通置いてゆくことになっている2、3銭を断固として受け取らなかった。私が御茶ではなく水を飲んだからだというのだ」という経験も記録しています。
 このような親切さは、以前ほどではないにしろ、現在の日本にも受け継がれている素晴らしさで、それを当時の外国人も適確に見抜いていたと思います。

 しかし、さらに外国人が見抜いた驚くべき内容が第二の重要なことです。
 先程も紹介しましたハリスは、下田に到来したイギリスの使節団の一人に「衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつのシステムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊し、悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろう」と語っています。
 ハリスの通訳として活躍し、1861年に薩摩藩士に暗殺されてしまうヘンリー・ヒュースケンは、1857年の日記に「私がいとおしさを覚えはじめている国よ。この進歩は本当にお前のための文明なのか。この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの悪徳を持込もうとしているように思われてならない」と書いています。

 また、徳川幕府の長崎海軍伝習所で勝海舟たちに航海術を教えたオランダ人のヴィレム・カッテンディーケは、後にオランダ海軍大将や外務大臣を務める大物ですが、2年あまりを長崎で過ごして帰国する1859年「もう一度ここに来て、この美しい国を見る幸運に巡り会いたいと密かに願った。しかし同時に、日本はこれまで幸運に恵まれていたが、今後どれほど多くの災難に出会うかと思えば、恐ろしさに耐えなかった」と書いています。
 やはり先程登場したロシアの商人リュードルフも「日本人は宿命的第一歩を踏み出した。自分の家の礎石を一個抜き取ったと同じで、やがては全部の壁石が崩れ落ち、日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう」と書き残しています。
 当時の日本人の上層部は文明開化、脱亜入欧などの掛声によって、西欧文明の導入に必死だったわけですが、その日本が到達する先を見通していたということです。

 現在の日本を見れば、150年以上前の予感が的中しているわけですが、なぜ当時の外国人が、これほど適確に日本の未来を予見できたか、ずっと不思議でした。
 しかし、ここ数年、世界各地の先住民族を訪ねてテレビジョン番組を作るようになって、納得することができました。
 オーストラリアの海岸で生活している先住民族アボリジニを訪ねたとき、彼らは浜辺に寝そべって談笑し、お腹が空くと若者が海に飛び込んで魚を獲り、それを焚火にくべて食べ、まさに極楽のような生活をしていました。
 ところが、酋長に会ったとき、人々に情報技術を教育し、ホテルを建てて観光客を呼ぶという計画を得意そうに話してくれました。
 そのとき、ヒュースケンやカッテンディーケが抱いたのと同じ思いをしました。
 何年後かに自分がここを訪れれば、極楽のような生活は消え、幸福そうであった住民は蝶ネクタイをして、観光客のために走り回っているだろうという光景がくっきりと見えました。
 『逝きし世の面影』の最初の本は絶版ですが、現在、平凡社ライブラリーで入手可能です。ぜひ多くの方に読んでいただいて、美しい日本を取り戻す方法を考えていただきたいと思います。





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