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論文

 本日11月18日は「土木の日」です。
 根拠は他愛のないもので、「土」という漢字を分解すると「十」と「一」、「木」という漢字を分解すると「十」と「八」になるからです。
 この土木という分野は、最近ではダム建設の見直しや、高速道路の建設の凍結など、事業仕分けの対象となり、何となく劣勢ですが、歴史に名前の記録されている最古の技術者は、いまから約5000年前に、エジプトのサッカラの階段状ピラミッドの建設の指揮をとったイムホテップという土木技術者とされていますから、由緒ある分野なのです。

 その土木が活躍した対象は19世紀には鉄道でした。
 1807年にウェールズで世界最初の馬車鉄道が開業し、1825年にはイングランドのストックトンとダーリントンの間の約40kmに世界最初の蒸気鉄道が開通し、以後、1830年にアメリカ、1832年にフランス、1835年にドイツと一気に世界に拡大していきます。
 しかし、それ以前の重要な輸送手段は舟運、すなわち帆船や蒸気船による輸送でしたから、舟を内陸深くまで航行させるとか、航路を短縮するなどを目的とする運河の建設が重要な土木事業でした。

 世界最古の運河は中国の北京から杭州まで2500kmを内陸で結ぶ「京杭(けいこう)大運河」で、西暦610年に完成していますが、それ以後、世界各地に様々な運河が建設され、世界三大運河とされているスエズ運河(1869年開通 193km)、ユトランド半島の付根にあるキール運河(1895完成 98km)、パナマ運河(1914年開通 80km)などが完成しています。
 海に囲まれた日本でも江戸時代から明治時代にかけて、北海道の小樽運河から宮崎県の堀川運河まで80以上の運河が建設されています。
 それらの中で最長の運河が宮城県にある「貞山運河」です。
 先週の初めに、この日本一長い運河を3日間かけてカヌーで見学してきましたので、今日は「貞山運河」をご紹介したいと思います。

 岩手県北部を源流とする北上川は幹川延長の長さが日本4位の大河ですが、宮城県に入る手前で分岐し、旧北上川が宮城県石巻市で石巻湾に注ぎます。
 また、日本6位の幹川延長をもつ阿武隈川は福島県中部から出発し、宮城県岩沼市で太平洋に注いでいます。
 その2本の大河はいずれも江戸時代には、内陸で生産され江戸に年貢米として送るコメを千石船の発着する港まで運ぶ舟運に利用されていました。
 北上川では「ひらた舟」とか「おぐり舟」という全長16mから18mの木造船で盛岡から河口の石巻まで3日から4日の行程で輸送が可能でしたし、阿武隈川では福島から河口まで「小鵜飼舟」と「ひらた舟」を乗り継いで輸送が可能でした。
 この2本の川の河口の間は70kmほどですから、その区間は海を航海すれば、積み替え無しで盛岡から福島まで輸送できるのですが、その海岸には荒浜という名前が何カ所かに残っているように、強風の吹き付ける難所でした。
 実際、今回も海を一部通行したのですが、大きなうねりがあり、海岸はサーファーがサーフィンを楽しむほどの大波になっており、小型の和船では航海ができない場合もあったと想像できました。

 そこで登場したのが「独眼龍」と称されていた伊達政宗です。
 まず16世紀最後の慶長年間に、伊達政宗は河村孫兵衛重吉に命じて、貞山運河のもっとも南側にあたる、名取川河口の閖上(ゆりあげ)から阿武隈川河口の荒浜まで、海から数百mの内陸に、海岸に平行して約15kmの「木曳堀(きびきぼり)」(1597-1601)を開削させます。
 次いで、伊達政宗の死後、1650年代になり明暦年間に松島湾と仙台湾を水路で結ぶ「御舟入堀(おふないりぼり)」(1658-1673)が16年間かけて完成しますが、それ以外の3つの運河「新堀」「北上運河」「東名(とうな)運河」の開削は明治時代まで持ち越され、ついに明治17(1884)年に全体が完成し、300年近い年月をかけて、運河部分だけで46・4km、一部海上を航行する区間も合計すれば70kmにもなる航路が完成したことになります。
 現在のように建設重機のない時代で、すべて人力による手堀りですから、大土木事業であったことが想像できます。
 これら5カ所の運河をまとめて、地元では「貞山堀」と称していましたが、明治22(1879)年に正式に「貞山運河」と命名されました。
 歴史に詳しい方はお分かりだと思いますが、貞山というのは伊達政宗の法号である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」から採られた名前です。

 運河は海岸から400mから500m陸側に入った平らな場所を30mほどの幅で掘った直線の人工河川ですが、かなりの部分は両側が松林になり、なかなか美しい景色です。
 もちろん現在の動力船は外洋の沿岸を航海するのに問題はありませんから、運河は航路としては使われておらず、漁船やプレジャーボートの係留に使われたり、多くの地域の人々が釣りをしていましたし、地元の大学生や高校生がボートの練習をしていました。
 先にご紹介した三大運河などは現在でも重要な航路になっていますが、道路と鉄道の発達により、ほとんどの運河は当初の目的の輸送のためには利用されていません。
 しかし、ヨーロッパでは小型の客船やモーターボートなどで、運河から運河を辿って、歴史遺産を鑑賞しながら内陸の水路を旅行することが盛んになっています。
 今回の貞山運河の水上旅行も、伊達政宗の構想力や江戸時代の年貢米の輸送の重要さを想像しながらカヌーで移動するのは、洋上を漕ぐだけでは得られない文化を感ずる旅でした。
 手漕ぎのボートでも安全に移動できる波風のない水路ですから、そのような形で歴史遺産を改めて見直す旅をされることも良いことではないかと思います。





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