TOPページへ論文ページへ
論文

 平成時代も残すところ1週間を切りました。そこで今日は平成30年間の日本の産業政策を回顧してみたいと思います。
 1989年から30年間続いた平成の時代は、平成天皇が昨年12月23日の誕生日に「戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しています」と述べられたように、平和な時代でした。
 確かに明治天皇の時代には日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904-05)、大正天皇の時代には第一次世界大戦(1914-18)、昭和天皇の時代には太平洋戦争(1941-45)が発生しており、平成時代は平成天皇が述べられているように戦争のない平和な時代でした。

 しかし、軍事戦争はなかったものの経済戦争という視点からは日本の平成時代は安泰な時代ではありませんでした。
 その象徴が平成も終わろうという今月に発生したジャパンディスプレイ(JDI)が台湾中国連合の傘下に入るという事件です。
 JDIは7年前の2012年に日立製作所、東芝、ソニーの液晶ディスプレイ事業を統合して不振から脱却しようとして設立された会社です。
 しかし、その中にはすでに3社のいずれかの傘下に入っていた三菱電機、エプソンなどの液晶部門も含まれ、そこへ官製ファンド産業革新機構(当時)が2000億円も投資する「日の丸液晶連合」でした。
 2012年頃には液晶ディスプレイは先端製品ではなく、コモディティ(一般商品)になっていました。
 例えば、2004年からシャープが三重県亀山市に建設した液晶ディスプレイのテレビジョン受像機を一貫生産する工場は「世界の亀山」と評判になり、世界から見学者が殺到し、見学者専用の通路まで用意されるほどでしたが、2012年にはスマートフォンや携帯ゲーム機用のディスプレイ装置の生産に切り替わっていました。
 さらにプラズマディスプレイもパナソニックが翌年の2013年に撤退するという転換期で、世界は有機ELが有力に登場してきた時期でした。
 その転換期の最中の2012年にあえて液晶ディスプレイを生産する組織JDIに投資をしたのは結果として失敗でした。    

 それ以外にも、技術の変化への対応に出遅れた失敗はいくつもあります。
 1999年に日立製作所と日本電気が半導体メモリー分野を統合してエルピーダメモリーを設立しましたが、2013年にはアメリカのマイクロンテクノロジーの子会社になっています。
 2011年にはNECのパソコン事業が中国のレノボとの合弁会社に、2018年には富士通のパソコン事業もレノボとの合弁会社に移管、シャープは2016年に台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入るなど、日本を代表するエレクトロニクス関係の事業が消滅していきました。
 エレクトロニクス分野以外でも、平成元年に三菱地所がニューヨークの都心のロックフェラーセンターを2200億円で買収し、アメリカ国民やニューヨーク市民の反感を買ってジャパンバッシングの標的になり、結局、6年後のバブル経済崩壊で維持できなくなり、大半を売却する結果になりました。
 三菱地所がロックフェラーセンターを買収した翌年の1990年には松下電器産業がハリウッドの映画制作会社MCA(ユニバーサル)を買収しましたが、1996年に株式の8割を売却する結果になっています。

 それを象徴するのが企業の時価総額の順位で、平成になった1989年には世界の上位20社のうち14社が日本企業で、NTT、日立製作所、松下電器、東芝などエレクトロニクス分野の企業が20位以内に登場していました。
 しかし、平成最後の現在では上位20社どころか上位50社に残っているのは45位のトヨタ自動車だけで、30年の間に一変してしまいました。

 平成の30年間は天皇のお言葉のように平和な時代であったことは確かですが、経済の視点からは日本が連戦連敗した時代であったということができます。
 その理由はいくつかありますが、第一は社会が工業社会から情報社会に巨大転換した時期に対応が遅れたということです。
 ご紹介した企業の時価総額の現在の状態は1位から4位までと6位はアメリカの新興情報企業マイクロソフト、アップル、アマゾン、アルファベット、フェイスブック、8位と9位は中国の新興情報企業アリババとテンセントですが、日本の情報関連企業は50位以内に一社も登場しません。

 第二は経済産業省などの役人が産業再編を推進しようとしたことです。
 JDIもエルピーダメモリーも経済産業省主導で統合が進み、政府の資金が投入されてきましたが、それ以前から同様の失敗は繰り返し発生しています。
 IBMが1964年に発売したIBM360という革命的コンピュータに脅威を感じた日本では通商産業省が1966年に「超高性能電子計算機プロジェクト」を立ち上げ、当時の主要なコンピュータメーカーであった日立、日本電気、富士通、東芝、三菱電機、沖電気の6社のチームに6年間で120億円の国費を投入して大型コンピュータを開発しましたが、十分な成果は得られませんでした。
 さらに1982年から10年間は570億円の公的資金を投入して人工知能に特化した第5世代コンピュータの開発を目指しましたが、これも期待した成果は得られませんでした。

 第三は日本の集団主義や平等主義が時代の変化に対応できないことです。
 電子産業の分野ではスーパーコンピュータを開発したシーモア・クレイ、パーソナルコンピュータを開発したスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、アマゾンを作り出したジェフ・ベゾス、フェイスブックを開発したマーク・ザッカーバーグなど天才的個人が発明し、起業して成功しています。
 中国でも、アリババのジャック・マー、テンセントのマー・フアテンなど個人が起業して大成功しています。

 一方、日本では人事も経営計画も合併を推進した経済産業省や資金を投入する産業革新機構の承認が必要なため迅速な決定ができないうえ、平等主義のため親会社の出身者が順番に社長になるという体制のため、突出した製品が誕生しないし、企業の意思決定に時間がかかりすぎて、世界の速度に追随できないのが現実です。
 令和という元号は「目出度く和して」という意味のようですが、技術革新については日本的な仲良く調和してという精神では成功しないことは、ここまでご説明したように明らかです。
 年号の改元を機会に、経営だけではなく、日本の制度や慣習を改革することが期待されます。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.