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論文

 「ドクター・ノオ」「ゴールドフィンガー」「ダイヤモンドは永遠に」など初期の007シリーズの7本に出演し、それ以外にも「薔薇の名前」や「レッドオクトーバーを追え」などの名演技で知られる俳優ショーン・コネリーはスコットランド独立を熱心に支援していることで有名です。
 2000年にはイギリスのエリザベス女王からナイトの称号を授与されましたが、その式典にはスコットランドの民族衣装であるキルトの正装で登場しましたし、2008年8月25日の誕生日に発表した自伝は『スコットランド人であること(Being a Scot)』という題名で、その発表の会場にはスコットランド政府の首相でもある、スコットランド民族党のアレックス・サモンド党首も出席したほどでした。
 ここ数十年はカリブ海のバハマに住んでいますが、「スコットランドが完全に独立するまで、私は死んでもスコットランドに戻るつもりはない」と発言しています。

 ところが最近、コネリーがスコットランドに戻ることのできる条件が整う可能性が出てきました。
 昨年5月の選挙で、サモンド党首が率いるスコットランド民族党が単独過半数を獲得し、大英帝国からの独立の可否を問う住民投票を実施すると発表したからです。
 ご存知の方には蛇足ですが、普通イギリスと呼ばれている国を連合王国と呼ぶことがあります。
 その正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」で、このグレートブリテンは、イングランド、スコットランド、ウェールズからなり、かつては、それぞれ独立した王国でした。
 それらが1707年に一体となって連合王国となった経緯がありますが、もう一度、昔に戻りたいということです。

 今年1月25日に、サモンド党首はスコットランド議会で2014年秋に住民投票をおこない、独立支持が多数になれば、次の議会選挙が実施される2016年5月に独立するという構想を発表しています。
 そのとき、コネリーは86歳になっていますが、存命であれば帰国できる可能性があるということになってきたのです。
 なぜ、スコットランドが独立を目指しているかというと、根本にはイングランドやウェールズと民族も言語も違うという背景があるのですが、経済が自立できるほど順調だからです。
 スコットランドは北海道と同じ程度の面積に、やはり北海道と同じ程度の520万人が生活していますが、イギリス経済を支えている北海油田はスコットランドの沖合にありますし、風力資源も潮の満ち引きで発電する潮力資源もヨーロッパ全体の4分の1がスコットランドに集中していますから、十分に自立できる経済力はあるということになります。

 このスコットランドの動向に、イングランドはもちろんですが、ヨーロッパ各国が心配しながら注目しています。
 それはヨーロッパの多くの国が同じような独立運動を抱えているからです。
 例えば、スペインにはバスク問題とカタルーニャ問題があります。
 バスクはピレネー山脈の南側にあるスペイン北部で大西洋に面したスペインの自治州で人口215万人ほどの地域ですが、かつてはピレネー山脈の北側も含めたバスク王国でした。
 バスク人の系統は不明ですが、独自のバスク語を話し、出身者としては日本に宣教師として到来したフランシスコ・ザビエル、南米大陸に渡ってコロンビア共和国を建国しようとしたシモン・ボリーバル、アルゼンチンのペロン大領領夫人としてアルゼンチンで政治に活躍したエバ・ペロン(エピーダ)、南米でゲリラ活動を指揮したチェ・ゲバラなどがいます。
 なかなか熱い人が多いのですが、それを反映して「バスク祖国と自由(ETA)」といわれる組織が過激な独立運動を行ってきました。

 カタルーニャは地中海に面したバルセロナを州都とする人口740万人ほどのスペインの州で、独自のカタルーニャ語も使っています。
 バルセロナのサグラダ・ファミリア教会の設計者アントニオ・ガウディ、チェロ奏者のパウ・カザルス、画家のジョアン・ミロ、サルバドール・ダリなど有名な芸術家を多数輩出しています。
 カタルーニャの人々が、いかに愛国心が強いかを示す興味深いエピソードがあります。
 1992年のバルセロナ・オリンピック大会はバルセロナ出身の国際オリンピック委員会会長のアントニオ・サマランチ会長の地元で開催されたのですが、その施設のひとつ屋内体育館は国際競技設計となり、磯崎新さんの案が一位となり実現しました。
 一位となった理由は、もちろん計画が優れていたこともありますが、他の建築家がスペイン語で説明書を書いたのに、磯崎さんはカタルーニャ語の説明書を提出し、愛国心に訴えたことが大きく貢献したと言われています。
 これ以外にも、ドイツのバイエルン州、フランスのコルシカやブルゴーニュ地方、イタリアのシチリア、デンマークのグリーンランド、ベルギー南部のフランス語圏と北部のフラマン語圏などで分離独立運動が活発ですし、実際、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離、かつてのユーゴスラビアであるセルビア・モンテネグロはセルビアとモンテネグロに分離というように独立が実現した国々もあります。
 一見安定しているヨーロッパでも、この程度ですから、アジアやアフリカではさらに多くの独立運動が起こっています。
 その結果、国際連合の加盟国数は1945年の設立時には51カ国でしたが、65年には117カ国、85年位は159カ国、現在は193カ国と増加しています。
 いまさら1918年のアメリカのウィルソン大統領の提唱した民族自決主義ではありませんが、世界は急激な分離独立に動いています。日本は現状では安泰ですが、道州制や地域主権の動きも活発になっており、このような世界の動向を理解しながら日本の制度を考える必要があると思います。





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