TOPページへ論文ページへ
論文

 一昨日まで20日間弱、南米大陸を流れるアマゾン川の源流地域に生活している先住民族を訪ねましたので、その紹介をさせていただこうと思います。
 アマゾン川はナイル川に次いで世界で2番目に長い川ですが、流域面積はオーストラリア大陸に近い面積で圧倒的に世界一です。
 アンデス山脈の東側から流れ出た無数の細い川が集まって大河になり、大西洋まで流れていくのですが、今回はその源流地域に行ってきました。国でいうと、ブラジル、ペルー、コロンビア、エクアドル、ボリビアにまたがった地域です。
 この地域には1000以上の部族が熱帯雨林の中で生活していましたが、16世紀以後、西欧諸国が進出し、伝染病や強制労働に駆り出されて急速に消滅し、現在では数百にまで減少しています。
 しかし、最近でも、これまで知られていなかった部族が発見され、文明社会の視点では世界最後の秘境という場所です。

 今回は最初にペルー南部のマヌーという地域に生活するマチゲンガ族を訪ねましたが、到達するまでがなかなかの大旅行です。
 日本からアメリカのロサンゼルス経由でペルーの首都のリマに到着します。ここで国内線に乗り換え、アンデス山脈を飛び越えてアマゾン川の支流にある熱帯雨林を切り開いた港町プエルト・マルドナルドに到着します。
 ここからが大旅行で、この港町からブラジル方面に向けて最近開通したインテル・オセアニカという高速道路を3時間近く走って支流に到達します。
 支流と行っても利根川の河口よりも幅が広く、橋は架かっていないので、長さ10mほどの小舟に荷物を積んで急流を横切り対岸に渡してもらいます。
 そこで再び自動車に乗り、別の川に面した港に到着します。
 ここから再び小舟に乗り換えて、川を5時間ほど遡ると、マチゲンガ族の生活する場所に到着するという次第で、移動している時間の合計だけでも30時間以上、実際は日本から丸3日間という場所です。

 色々と大変な場所ですが、第一が虫対策です。
 黄熱病、マラリア、破傷風、狂犬病などの危険がある地域なので、予防注射はしていきますが、密林に入るときには防虫スプレーを身体にかけます。
 ところが、日本の防虫スプレーは役に立たず、現地産の強力なものを吹き付けるのですが、蚊もブヨもズボンやシャツの上からも刺してきますし、さらに厄介なのは目に見えない小さなダニに刺されることです。
 長靴下、長ズボン、登山靴で足元を固めて歩くのですが、一日の終わりに靴下を脱ぐと足の甲にダニに噛まれた跡が10数カ所もあるという状態です。
 そこで、人間が吸っても有毒という超強力殺虫剤を振りかけて密林を歩きましたが、気が付くと手足はボコボコという状態でした。

 宿泊は川沿いの森をわずかに切り開いたロッジを利用したのですが、気温35度、湿度80%という環境なので建物にガラス窓はなく、すべて金網ですが、それでも中に色々な動物が入ってきます。
 今回のベスト3は毒蜘蛛、サソリ、大型のネズミのようなポッサムでした。
 部屋に入って壁を見ると大きな蜘蛛が張り付いているし、蚊帳に入って寝ようとしたところ、蚊帳にサソリが張り付いていました。
 捕まえようとしたのですが、蚊帳の中に逃げられてしまい、覚悟を決めて寝ましたが、何とか無事でした。
 また、周囲では一晩中、動物の鳴声がし、一番驚いたのは、明方になると、ヒューンヒューンという電波のような音がするので、UFOでも降りてきたのかと思っていたらホエザルの声でした。

 そのような場所にマチゲンガ族が住んでいるのですが、密林を切り開いた広場に、壁も窓もない高床式の家に一家5人で生活していました。
 歓迎して食事を出してくれるのですが、これが大変で、まず「マサト」といわれる濁り酒が出てきます。
 飲んだ後で作り方を見たのですが、茹でた「ユッカ」というイモを女性が鍋の中で潰しながら、その一部を口に入れて良く噛んでから鍋に戻して発酵させて作ります。先に製造風景を見なくて良かったということでした。
 さらに食事は「スーリ」といわれる昆虫の幼虫の丸焼き、近くの沼で獲れた硬い鱗で覆われた魚の丸焼きなどで、覚悟のいる食事でした。

 そのような事情はともかく、現在の文明社会の生活を見直す切っ掛けになる生活でした。
 まず地産地消どころか自産自消のシンプルライフです。衣服は「クシュマ」という綿布を二つ折りにしただけの簡単なもので一人2枚しかもっていません。材料は家の回りの畑で栽培しています。
 食事はユッカというイモが主食ですが、それも家の回りの畑で栽培し、それ以外に近くの沼で魚を捕り、動物の肉が必要なときは主人が森の中に狩りにいって獲ってくるという生活で、備蓄はゼロです。
 住居は周囲の森の木で組立て、屋根は椰子の葉で覆い完成です。
 見渡してみると、地産地消でないものは鍋と水を貯めているプラスチックの容器のみという生活です。
 身土不二は四里四方のモノで生活することが理想という思想ですが、ここではせいぜい数百m四方で十分という生活でした。

 もう一つは、われわれが如何に時間に追われて生活しているかを実感したことです。
 畑に行って、このユッカは何年前に植えたのかと聞くと、じっと考えて2年前という答えでした。しばらくして同じ質問してみると半年前でした。
 いい加減に答えているのではなく、彼等にしてみると、見渡して十分にイモが生長しているものを収穫するだけですから、それを何時植えたかは関心がないのです。
 別のときにユッカの澱粉から「カサベ」という大きな薄い煎餅を作る作業を見ていたときに、あと何分くらい焼くのかと聞いたら、美味しくなるまでという答えが戻ってきました。
 彼等にしてみると、必要な成果が得られることが重要で、それにかかる時間には関心がないのです。
 時間さえ過ごせば何事かを達成したと思いがちな我々は生活の在り方を考え直す必要があるのではないかと痛感した次第です。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.