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論文

 今日は260年前の1753年にロンドンにある大英博物館(ブリティッシュ・ミュージアム)が設立された日です。
 一般に公開されたのは6年後の1759年1月15日ですが、古美術収集家であったハンス・スローンの収集品が国に寄贈され、議会が博物館を設立する法律を制定したのが今日というわけです。
 大英博物館の収蔵品は約700万点になり、東京国立博物館の収蔵品の約11万点という数字と比較すると桁違いの規模だということが分かりますが、それ以上に評価されるのは、その収蔵品の質です。
 有名なものとしては、古代エジプトの象形文字を解読する契機となった「ロゼッタストーン」、数多くのエジプトのミイラを納める棺、アテネのパルテノン神殿を飾っていた大理石のレリーフなどがあります。
 ところが、世界を代表する博物館は「泥棒博物館」とか「強盗博物館」と揶揄されることがあります。

 例えばロゼッタストーンが大英博物館に存在する経緯を調べると分かります。
 最初に発見したのは、ナポレオンのエジプト遠征軍です。ナポレオンは多数の学者を帯同し、その成果のひとつとして、1799年7月15日にナイル川の河口のロゼッタ付近で3種類の文字の刻まれた石碑を発見します。
 それはカイロに保管されますが、イギリスとオスマントルコの連合軍がエジプトに駐留しているフランス軍を攻撃し、1801年8月30日にフランス軍は降伏します。
 そこでフランスがエジプトで入手した考古学的な資料をどうするかが論争となりますが、ロゼッタストーンの価値に気付いたイギリスが強硬に権利を主張し、大英博物館に落ち着くことになります。
 もともとはフランスが発見したのですが、イギリスが戦利品として強奪したという形になったわけです。

 もうひとつの至宝であるパルテノン神殿のレリーフについても、その入手手段は問題とされています。
 イギリスのオスマン帝国駐在の外交官であったエルギン伯爵が、18世紀にはオスマン帝国の領土であったギリシャのパルテノンの神殿の彫刻に関心を持ち、オスマン帝国のセリム三世の許可を得て、大理石の彫刻を切り取ってイギリスに持ち帰り、大英博物館で展示されることになりました。
 そのため、この彫刻は通称「エルギン・マーブル」と呼ばれています。
 これは、すでに当時から批判もあり、イギリスの詩人ジョージ・バイロンなどは痛烈に批判しています。
 このような背景から、大英博物館が強盗博物館と呼ばれるわけですが、これは帝国主義時代の各国には多かれ少なかれ共通する行動でした。

 ところが戦後になり、植民地から独立した国々が返還を要求するようになったのです。
 ロゼッタストーンについては、大英博物館創立250年の2003年、エジプト考古学最高評議会の会長が「イギリスが名誉を回復したいのであれば、自発的に返還すべきだ」と宣言し、イギリスは2005年に、当座の対策として原寸大の複製を寄贈しましたが、複製品で納まらないと思います。
 これ以外にも、エジプトはベルリンのノイエス・ムゼウムにある古代エジプトの「王妃ネフェルティティの胸像」、アメリカのメトロポリタン美術館にある「ハトシェプスト女王の胸像」、フランスのルーブル美術館にある「デンデラの黄道帯(ゾディアック)」などについて、次々と返還要求をし、すでに5000点以上を回収しています。
 エルギン・マーブルについては、1981年にギリシャの文化大臣になった女優のメルナ・メルクーリが先頭に立ってイギリスに返還要求をしましたが、現状は平行線のままです。
 これまでの宗主国の力が相対的に低下し、植民地から独立した国家が力を持つようになり、返還の動きは急速に拡大していくと予想されます。

 実際、ローマの広場にあったオベリスクは2005年にエジプトに返還され、ドイツのハイデルベルク大学にあったパルテノン神殿の北側の壁面彫刻は2006年にギリシャに返還され、アメリカのゲティ美術館にあったアフロディティの彫刻は2007年にイタリアに返還されるなど、最近になり返還事例が急速に増加しています。
 日本は明治時代の廃仏毀釈運動が盛んだった時期に、仏像や仏画が大量に流出しましたし、浮世絵も外国人が買っていき、戦後の困難な時期にも多数の文化財が流出しましたが、最近、日本が外国に返還した事例があり、注目されました。
 李氏朝鮮の王室の主要行事の内容を図とともに詳細に記録した「朝鮮王室儀軌(ぎき)」という文書がフランスと日本に流出しており、フランスについては1993年に金泳三(きむよんさむ)大統領がミッテラン大統領に返還要求し、翌日、パリから一部が韓国に空輸されましたが、フランス国立図書館が猛反発し、以後、紆余曲折を経て、2010年にフランスから「5年毎の貸与契約更新」を提案し、両国が合意し、現在は韓国に存在しています。
 日本については、2006年に韓国の国会が「日本所蔵朝鮮王朝儀軌返還要求決議文」を決議し訴訟までおこなっていますが、日本は1965年の協定により解決済みとしてきました。
 しかし、李明博大統領が「日韓関係の象徴として例外的扱いを求めたい」と要求し、2011年の日韓首脳会談で1205冊の図書を引き渡すことを合意し、昨年11月に一部が返還されています。

 文化財返還については2つの意見があります。
 イラクのフセイン政権が崩壊したとき、バグダッドの博物館にあった文化遺産が破壊されたり盗難されたりしました。
 そのような政変や保管環境の不備を考えると、より安全な先進諸国に保管するほうがいいという意見と、やはり民族や国家の財宝であるから、本来の所有国に返還するのが適切だという意見です。
 今月、北海道に在住の何人かのアイヌ民族の人が、戦前から戦後にかけて北海道大学が研究用として墓から持ち去った祖先の遺骨の返還を要求する訴訟を起こす予定です。
 その背景にあるのは祖先を供養したいという気持です。遺骨と文化財はやや違いますが、このような事例を考えても、文化財も本来の場所にあるのが適切だと思います。





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