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論文

 今日は「世界の先住民の国際デー」という国際連合が1994年に制定した記念日です。
 1992年の今日8月9日に国際人権促進保護小委員会の先住民作業部会の最初の会合が開かれたことを記念したものです。
 先住民は英語で「インディジーニアス・ピープル」といわれ、そのまま訳すと土地固有の人々という意味になりますが、この作業部会では「異文化をもつ人々が別の地域から到来し、その地域に以前から生活していたにもかかわらず支配される立場になってしまった人々とその子孫」と定義しています。
 古代から、そのような立場の人々は存在しますが、大半は15世紀の新大陸発見時代以後、欧米諸国が植民地主義で世界へ進出していったことにより発生した人々です。
 そのような人々の権利を取り戻そうという意識が20世紀後半に強くなり、国際連合でも採り上げられるようになったというわけです。

 この運動を象徴するような出来事が20世紀の最後の時期から、次第に登場するようになります。
 1994年2月にノルウェーのリリハンメルで開催された冬季オリンピック大会では、開会式の時、スカンジナビア半島の北部ラップランド地方に生活する先住民サーミの民族音楽ヨイクを民族衣装を着た歌手が無伴奏で歌いました。
 これは歴史的大事件で、ノルウェー政府はサーミ族を国に同化させるために、ヨイクを公式の場で歌うことを禁止していたのですが、この式典がヨイクを正式に解禁する結果になったのです。
 それを契機に、97年にはノルウェーの国王ハラルド5世が、サーミをノルウェーに同化させる政策は間違っていたと正式に謝罪しています。

   2000年にオーストラリアのシドニーで開催されたオリンピック大会でも、オーストラリアの先住民アボリジニ出身のキャシー・フリーマンが聖火の最終ランナーとなり、また、400m競技で優勝した時、アボリジニの民族旗とオーストラリアの国旗の両方で身体を包んで競技場を一周するビクトリーランを行いました。
 これも歴史的大事件で、ビクトリーランは自分の所属する国の国旗を使用することが慣例だったのですが、その機会に民族旗を身にまとい、民族の意思を表明したということで話題になりました。
 その影響だけではありませんが、2008年2月には、当時のオーストラリアのケビン・ラッド首相が議会において、過去2世紀にわたるアボリジニへの不当な行為を正式に謝罪することになりました。

 このように世界は急転換していますが、それを象徴する興味深い話を御紹介したいと思います。
 アメリカ大陸を発見したのは誰か?と聞かれると、ほとんどの人がクリストファ・コロンブスで、1492年10月12日にアメリカ大陸に到達したと答えると思いますが、これは大間違いだという意見が強くなっているのです。
 第一に、1492年の第1回航海でコロンブスが到達したのは、アメリカ大陸ではなく、手前のバハマ諸島にある島でした。
 そこに住んでいた島民は、その島をグアナハニ島と名付けていたのですが、当時のヨーロッパの国々の慣習では、キリスト教徒が住んでいない土地は持主のいない「無主地」として、到来したキリスト教徒が所有権を主張できるという野蛮な概念があったため、勝手にスペイン女王の土地とし、サン・サルバドル島と名付けてしまいます。

 これをアメリカ大陸の発見として世界に宣伝したわけですが、それより約500年前に、ヨーロッパから北米大陸に到達し、定住していた人々がいたのです。
 紀元1000年頃にスカンジナビア半島を本拠とするヴァイキングが無人のアイスランドやグリーンランドに進出し、その一人レイフ・エリクソンが率いるヴァイキングの一行が帆船で北米大陸に到達したという内容が、「サガ」というヴァイキングの伝説集に書かれていました。
 それは単なる伝説とされていたのですが、カナダのニューファウンドランドのランスオーメドーという場所にある遺跡が、ヴァイキングの人たちが定住dしていた場所ではないかと言われるようになりました。
 最初はアメリカインディアンの遺跡と思われていたのですが、1960年に1000年頃にヴァイキングが使用していた鉄釘が発見され、さらに溶鉱炉の跡も発見されて、ヴァイキングの宿営地と分かり、1978年に世界文化遺産に最初の1カ所に指定されています。
 したがって、コロンブスより500年近く前に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達していたことになります。

 しかし、ヴァイキングも最初の発見者ではありません。
 アメリカにアート・バックウォルドという評論家がいましたが、1950年代に発表した短編集に「だれがコロンブスを発見したか」という短い評論があります。
 簡単に言えば、コロンブスがグアナハニ島に到達したとき、それを出迎えたアメリカインディアンがいて、インディアンの間では、それがどの部族かという論争があるというわけです。
 彼らは1万数千年前にユーラシア大陸からベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に到達し、短期間で南米大陸の最南端まで到達していますが、グアナハニ島にも数千人の集落があったとされています。
 諸説ありますが、コロンブスが到達した頃に、南北のアメリカ大陸には1億2000万人以上のモンゴロイド系の人々が生活していたと推定されています。
 当時の世界全体の人口は約5億人ですから、少なくとも4分の1はアメリカ大陸に生活していたことになり、コロンブスはアメリカ大陸を発見した1億数千番目の人間でしかないのです。

 「だれがコロンブスを発見したか」という言葉が物語るように、コロンブスは発見したのではなく、発見されたのですが、西欧中心の歴史は、極端に言えば、歴史を都合良く歪曲してきたことになります。
 それを客観的な歴史に戻そうというのが、本日の「世界の先住民の国際デー」の背景にある意図です。
 「歴史は勝者が創る」という言葉がありますが、世界の見方は一通りではないということを知ることも重要だと思います。





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