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論文

 一昨日までアフリカ北部に生活するベルベル人を訪ねる旅行をしてきましたので、その生活振りを御紹介したいと思います。
 出掛けた場所はアフリカ大陸のもっとも北部の大西洋から地中海に面している地域で、国で言えばモロッコ、アルジェリア、チュニジアになりますが、ここには東西方向に2400kmほど連なるアトラス山脈があります。
 アトラス山脈の最高峰は標高4167mのツブカル山ですが、全体でも2500mから3000mの高山が連なっている大山脈です。
 この山脈の北から南に険しい道を越えると、サハラ砂漠の北端に到達します。
 今回はモロッコのマラケシュから峠越えの道路を登りましたが、先週の9月4日に、バスが転落して40名以上が死亡するという事故があった場所で、なかなかの難路です。

 このアトラス山脈を越えた一帯で生活しているのがベルベル人で、正確な起源はわかりませんが、すでに1万年以上前から存在が知られており、全体で1500万人ほどが生活しているようです。
 現在では定住している人が大半ですが、まだ砂漠で遊牧生活している人もおり、その遊牧民を訪ねました。
 これがなかなかの旅で、数年前に通じたばかりの自動車道路を標高2600m程度まで進み、途中で自動車を降りて、砂漠のなかの人が踏み固めた跡を辿って1時間半ほど登ったり降りたりして行くと、彼方の窪地にテントが見えるという状況です。
 周囲に石を積んで壁を作り、羊の毛で織った布で屋根のように覆ったのが住居で、一家6人ほどで生活しています。
 大変なもてなしを受け、遠方から客人が来たというので、周辺の隣人と言っても、歩いて2時間とか3時間かけて着いたとかいう隣人が何人か集まって宴会を開いてくれました。

 まず客人が来たときか、御祝いのときしか殺さない貴重なヤギを殺し、テントの中で解体し、内蔵は串焼きにし、肉は蒸してクスクスと一緒に食べるという料理です。
 もつ焼きとかホルモン鍋と思えば良いのですが、つい30分前まで、テントの横でメエメエと鳴いていたヤギで、しかも目の前で解体ですから、食べるのには一応の勇気が必要ですが、貴重な塩と胡椒を振りかけた串焼きは美味しいものでした。

 モンゴルの遊牧民を訪ねたときも同様ですが、客人には可能な限りのもてなしをするというのが遊牧民の基本精神です。
 今回も主人が「欲しいものがあったら何でも希望を言ってくれ、自分でできることであれば何でもしてやる」というのですが、これが儀礼的ではないことを実感する感動的なことがいくつもありました。

 われわれが食事をしているときに、その家の6歳か7歳の子供2人が荷物を持って丘陵を登っていくので、何事かと尋ねると、自動車道路で待っている運転手が腹を空かしているだろうから食べ物を届けるという訳です。
 慣れた土地とは言え、子供の足では往復3時間の山道ですから、その思い遣りに感動しました。
 また食べている途中に隣人の何人かが立ち上がり、突然、砂漠の方に向かって大声を挙げるので、何事かと尋ねると、彼方を人が歩いているので、宴会に来いと呼びかけているという訳です。
 我々の目では教えられないと人と見分けができないほどの点のような人影を見つけて声を掛けているのです。
 残念ながら、遠すぎて声が届かなかったのですが、「できることがあれば何でもしてやる」という言葉が儀礼ではないことを実感しました。

 もうひとつ意外と言っては失礼ですが、きわめて清潔な生活をしていることです。
 到着すると、最初に甘い御茶でもてなしてくれます。
 すべて男性が行うのですが、まず、御茶を入れる人が水で手を洗い、コップを水洗いし、布で拭いて用意します。
 それから御茶の葉をつまんで急須に相当する容器に入れ、砂糖のかたまりを大量に放り込んで御茶を作ります。
 コップを洗う水が何となく茶色いことや、コップを拭く布が煮染めたような色をしていることを気にしなければ、なかなかの清潔好きです。
 この水を汲みにいくときに同行したのですが、ロバも足を滑らすような岩山の崖淵の細道を片道3時間近くかけて登り、岩の間から滴り落ちる程度の水を汲んできた貴重な水です。
 それを惜しげもなく使ってもてなすというところにも感動しました。

 この清潔好きが生んだ、もう一つの習慣に、今回、偶然出会うことができました。
 『旧約聖書』に書かれ、エジプトの4000年前の遺跡の壁画にも描かれている割礼の儀式です。
 これは男性の性器の包皮を赤ん坊のときに切り取るユダヤ教やイスラム教の儀式で、全員がすることになっています。
 なぜ行うかには諸説ありますが、衛生環境が十分ではない地域で予防衛生のために考え出されたという意見もある習慣です。
 現在では、病院で手術することが大半のようですが、今回、定住しているベルベル人の集落を訪ねたときに、集団で割礼する儀式に遭遇しました。
 集会場のような2階建ての中央が吹き抜けの建物に、昼過ぎから村中の男性が集まり、延々とお祈りを繰返します。
 午後遅くに医師が到着し、お祈りがクライマックスに到達した時期に、何人かが大きな布で医師の頭上を覆い、その中で1歳未満の子供、今回は11人が次々と手術を受けるのです。
 村人は周囲から眺めるだけで、現場を見ることはできないのですが、我々は客人ということで、中を覗かせてもらいました。
 現在では局部麻酔をし、ゴム手袋をした医師がピンセットとハサミで手術しますが、なかなかの奇観でした。

 夕方からは広場で牛を1頭殺して食料とし、集落を挙げての宴会となり、明方まで続くのですが、この集団割礼の儀式は医師を僻地の僻地まで招くのに費用がかかり、しばらく開かれなかったのですが、集落の若者が音頭をとって31年振りに開かれたものです。
 日本だけではなく、世界各地で伝統の復活に関心があることを実感しました。





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