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論文

 東日本大震災からほぼ2年が経過しましたが、この大災害では津波が猛威を振るい、死亡が確認された方々が今年の2月末現在で1万6000名近く、行方不明の方々が2700名以上になっています。
 そして今年も各地で慰霊祭が行われますし、行方不明の方々の捜索も続けられています。
 このように死者を特別に扱うという行動は、ほんの一部の動物を例外として人間に特有のものですが、その歴史は意外に古く、世界では6万年前のネアンデルタール人が死者を花とともに埋葬していたと推定される遺跡が発見されていますし、日本でも2万年前の縄文時代に死者を丁寧に埋葬した遺跡が発掘されています。

 死者を丁重に扱わないということは日本では大変な非礼にあたり、1868年の会津戦争の結果、現在でも会津藩と長州藩との間には遺恨が残っているようですが、その重要な要因は、新政府軍が会津藩の犠牲者の埋葬を禁止したために、遺体が半年以上も放置されたままで悲惨な状態になったことだとされています。

 そのような伝統のある日本で、最近、孤独死や無縁死が増加し、何年も遺体が放置されたままという事件が頻発し社会問題になっています。
 その主要の原因は単独世帯、普通の言葉では一人暮らしの世帯が急増していることです。
 2000年には1234万世帯でしたが、2010年には1373万世帯と11%増加し、2020年には1453万世帯と全体の30%になると推測されています。
 問題は、その中で65歳以上の単独世帯が急増していることで、2000年の297万世帯(24%)から、2010年には430万世帯(31%)、2020年には537万世帯(37%)となり、すべての世帯の11%は高齢者が一人で生活する状態になるということです。
 その結果、2010年には戸籍上では111歳になる東京都の男性が30年以上前に人知れず亡くなっていたとか、昨年も2年前に亡くなっていた99歳の女性と1年前に亡くなっていた75歳の男性が岐阜県の民家に放置されていたという痛ましい事件が続発しています。

 また、最近の新聞の死亡告知を見ると、家族のみで葬儀は済ませましたという「密葬」や「家族葬」も急増しており、身近な人の死についての意識も変化していることを実感します。
 人口が増加せず、結婚比率も急速に低下している社会で、結果として単身の高齢者が増えていく状態への対策を考える必要がありますが、今日は現在の日本の対極にある社会を紹介したいと思います。

 先月、インドネシアの赤道直下にあるスラウェシ島に生活するトラジャ族という人々を訪ねる機会がありました。
 スラウェシ島は以前セレベス島と呼ばれたバリ島の北側にある島で、日本の半分程の面積の大きな島です。その南端にあるマカッサルという都市から自動車で10時間程北上した山岳地帯に約65万人が生活している民族です。
 ここはバリ島に次いでインドネシア政府が第二の観光地として売出している場所で、その目玉は壮麗な葬儀です。
 トラジャ族は「死ぬために生きている」と言われるほど、死者の葬儀に労力と費用をかけています。
 2月に訪れたときには、丁度、お金持ちの女性の葬儀があり、その実際を見ることができました。

 トンコナンと呼ばれる屋根の両端が跳ね上がった高床式の建物が両側に数十棟立ち並ぶ広場の中央に棺が置かれ、数百人の縁者や一般の人々が見守る中で、数日間、盛大な葬儀が行われます。
 もともとは土着のアルクトドロという宗教で執り行われるのですが、現在ではトラジャ族にもキリスト教が浸透し、80%以上がキリスト教徒、6%がイスラム教徒で、アルクトドロ教の信者は6%であり、亡くなった女性もキリスト教徒であったため、キリスト教と土着の宗教が入り交じった儀式でした。
 非常に奇妙な印象を持ったのは、親戚の人々を含めて数百人の参加者の誰一人として泣いたり悲しんだりしておらず、食事をしながら賑やかに楽しんでいる様子だったことです。

 一つは亡くなって2ヶ月近く経ってからの葬儀ということもありますが、最大の理由は一種の輪廻転生の思想があり、死ぬことは生きている状態が突然断絶するのではなく、プヤといわれる来世に行く流れの一環と考えているからです。
 そのために親族や集落の人々は、死者が確実に来世に行くことができるように出来る限りの努力をします。
 その最大の努力が多数の水牛とブタを捧げて広場で殺すことです。
 水牛は死者が来世に行くときの乗物と考えられているので、親戚や関係のある人々は1頭ずつ水牛を奉納し、その数が多いほど立派な葬儀になります。
 高貴な人の葬儀の場合には、参列者が数千人にもなり、捧げられる水牛が数十頭、ブタが数百頭にもなります。
 ところが、これがなかなかの値段で、インドネシアの世帯あたり平均年収は50万円程度ですが、水牛は数十万円しますし、高価な白い水牛は150万円もしますから、簡単には買うことが出来ません。
 しかも、ある家族から水牛を送られた場合は、その家族で亡くなる人がある場合は、必ず水牛をお返しに送らなければなりませんから、負担は大変です。

 したがって、貧しい家庭では水牛を買うことができるお金が貯まるまで、葬儀を何年も引き延ばす場合さえあります。
 これがトラジャ族を「死ぬために生きている人々」と呼ぶ由縁です。
 1970年代まで、外部の世界にはまったく知られていなかった山奥の秘儀が政府の観光政策として広く世界に知られ、数多くの外国人が見物や撮影に来るということに地元でも異論はありますが、死者のために出来る限りのことをするという風習は現在の日本の死者への対応のあり方を考える上で参考になると思います。





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