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論文

 8月24日と25日の2日間、東京の代々木公園イベント会場で「U−1グランプリ2013」が開催されました。
 これは「ウドン日本一決定選手権」と副題がついているように、全国から様々なウドンが集まって、日本一を決めようという趣向です。
 その結果を御紹介する前に、アルファベットの後ろに「−1」を付けたグランプリをインターネット調べてみたところ、意外にも「X−1グランプリ」以外はすべて揃っているのです。
 自動車レースの「F−1グランプリ」と格闘技の「K−1グランプリ」は有名ですが、食べ物関係だけでもカレーライスを対象とする「C−1グランプリ」、ホルモン料理を対象とする「H−1グランプリ」、お取り寄せグルメを対象とする「O−1グランプリ」、漬物を対象とする「T−1グランプリ」などがあります。

 しかし何といっても圧倒的に有名な行事は全国のB級グルメを対象とした「B−1グランプリ」で、2006年に青森県八戸市で第1回が開催されて以来、今年11月には愛知県豊川市で第8回が開かれるというように順調に発展しています。
 この行事に影響を受けて「U−1グランプリ」が開かれたと思いますが、第1回は全国から24店が参加し、売上による順位と会場で実際に食べた人の満足度で、それぞれ10位までが発表されています。
 売上では1位が岡山県の「倉敷うどん」、2位が群馬県の「ひもかわうどん」、3位が和歌山県の「梅うどん」。
 評価では1位が「ひもかわうどん」、2位が「梅うどん」、3位が「倉敷うどん」でしたから、上位については売上と評価はほぼ比例していることが分かります。

 ところで全国には様々な種類のウドンがあるし、ウドン屋さんの数も2万8000店あるのに、24店だけで日本一を決めていいのかという疑問があると思います。
 しかし、B−1グランプリも最近では63店も出店し、参加者も60万人を突破していますが、第1回は10店で1万7000人でしたから、今後、継続して開かれれば、「U−1グランプリ」も着実に増えて行くと思います。

 もうひとつの問題は、B級グルメと違って、ウドンには日本三大ウドンという評価が存在します。
 香川県の「讃岐うどん」と秋田県の「稲庭うどん」はほぼ確定で、三番目に長崎県の「五島うどん」、富山県の「氷見うどん」、群馬県の「水沢うどん」、名古屋市の「きしめん」、富士吉田の「吉田うどん」などが挙げられます。
 これらの中で「稲庭うどん」「五島うどん」「水沢うどん」「きしめん」は参加していますが、うどん県と宣伝し、だれもが知っている「讃岐うどん」が不参加であったのは残念でした。
 人口あたりのうどん屋さんが断然1位の香川県が当然1位だと慢心せず、次回は参加して1位になっていただければと思います。

 ところで、日本を代表する麺類としてウドンとともにソバがありますが、両者を比較すると興味深い日本の構造が見えてきます。
 全国のソバ屋さんも2万8700店で、ウドン屋さんと拮抗していますが、都道府県ごとにウドン屋さんが多いか、ソバ屋さんが多いかによって、ウドン圏域かソバ圏域かを色分けしてみると、愛知県と岐阜県を境界にして、西日本はウドン圏域、東日本はソバ圏域と見事に色分けされます。
 三大うどんである稲庭うどんを誇る秋田県、氷見うどんの富山県、水沢うどんの群馬県でさえ、この分類ではソバ圏域になっています。

 これはウドンとソバの両方を出す店の場合、東京では「そば・うどん」と書かかれているのに、大阪では「うどん・そば」と書かれていることにも現れています。
 学者の分析によると、江戸時代初期は江戸も浪速もウドンが中心であったが、ソバが中心の信州や甲州から多くの人が江戸に入ってきたこととか、ソバの基本はモリソバで冷たいので、熱いウドンよりも早く食べることができ、江戸っ子のせっかちな性格に合っていたなど、定説はないのですが、この境界線は興味ある現象なのです。

 太平洋側の天竜川の河口から日本海側の糸魚川の河口を結ぶ線は日本列島を二分するフォッサマグナの西側の境界にあたりますが、この境界線で二分されている文化が多いのです。
 ウナギを調理するとき、脊開きにするか腹開きにするかも、愛知、岐阜あたりから東日本が脊開き、西日本が腹開きです。
 これは武家社会である東日本では腹開きは切腹に通じるので嫌ったからと言われています。
 同時に、白焼きにしてから蒸して本焼きにする方法、そのまま焼く地焼がありますが、東日本は前者、西日本は後者で、これもフォッサマグナで分かれています。
 また正月のモチが角モチか丸モチかを調べると、愛知、岐阜あたりから東側が角モチで西側は丸モチです。
 ところが、山形県の庄内地方は例外的に丸モチですが、これは北前船によって大阪や京都の風習が伝わってきたためと言われています。
 一方、高知県は角モチですが、山内一豊が藩主として尾張から移ってきたためと言われています。

 このように調べてみると、文化の違いは当時の交通状況を反映していることが分かります。
 そうすると、物流が自由になった時代には、この境界は崩れて消えて行くかのようですが、現在でもカップ麺のスープには東を示す「E」と西を示す「W」と区別があって内容も異なっているように、現在にも残っています。
 このような文化の背景を知りながら、「U−1グランプリ」や「B−1グランプリ」の結果を眺めると、一層の興味が湧くのではないかと思います。





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