TOPページへ論文ページへ
論文

 今日は1960年にエジプトのナイル川上流でアスワンハイダムの起工式が行われた日です。
 なぜ、起工式が行われたことが重要かというと、このダムは当時の米ソの冷戦構造を象徴する巨大土木工事だったからです。
 すこし遡りますが、まず1952年にエジプト王国の自由将校団が革命を起こし、ファルーク一世国王を退位させて、翌年、エジプト共和国に移行し、自由将校団の団長であったムハンマド・ナギーブ将軍が大統領に就任します。
 3年後の1956年になると、ナギーブ大統領のもとで首相であったガマール・アブドゥル・ナセルがナギーブ大統領を追放し、自身が第2代大統領に就任します。
 ナセル大統領はエジプト共和国の成立とともに計画されていたナイル川上流のダムの建設を開始しようとしますが、その資金を確保するために、それまでイギリスとフランスが管理していたスエズ運河をエジプト国有に移行させようとします。
 それに対抗するためにイギリスとフランスはエジプトと敵対しているイスラエルを支援して闘わせ、1956年に第二次中東戦争が始まります。
 結局、スエズ運河はエジプトの所有となり、ダム建設を開始しようと資金をアメリカ輸出入銀行から借り入れようとしますが、アメリカが拒否します。
 理由はナセル大統領が冷戦構造世界を変えようと、ユーゴスラビアのチトー大統領、インドネシアのスカルノ大統領、インドのネール首相などとともに、アメリカとソビエトの双方から中立を維持する非同盟諸国会議を設立し、アメリカから離れたためです。
 それならばと、ナセル大統領がソビエトから資金や技術の提供を受け、建設を開始したのが55年前の今日ということで、アスワンハイダムは米ソの冷戦を反映した事業だったのです。

 工事は10年間かかり、1970年にダムが完成します。
 これはナイル川の河口から約900km上流に位置し、ロックフィルダムといって、粘土、岩石、土砂を積上げて高さ111m、延長3600mの堰堤を建設したものですが、その岩石や土砂の量は、ギザのピラミッドの90倍以上という大量で、貯水容量は1620億立方メートルで現在でも世界3位という巨大ダムです。
 参考のために、日本にある約3000のダムが貯めている水の合計の8倍に相当するという桁違いの規模です。
 そして、このダムがナイル川を堰止めたために上流にナセル湖という湖が出現しましたが、その距離が東京から大阪までに匹敵する550kmもあり、面積は琵琶湖の8倍にもなります。

 なぜ、このような巨大なダムを建設しようとしたかには、エジプトの国威発揚という以外に、いくつかの理由があります。
 ナイル川は6月から9月までは増水し、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが「ナイルが氾濫するとエジプト全土が海になる」と書いているほどの大洪水になりますが、2月から6月は乾期になり水量が大幅に減ります。
 そこでダムを建設して水量を調節して洪水を防ぐ一方、乾期にはダムの水を放流することで、流域に灌漑で栽培できる用地を拡大し、そこで二期作を実現しようというのが第一の目的です。
 当時、エジプトの人口は3000万人程度でしたが、2000年頃には倍増すると予測されていましたから、食料供給のためには重要だったのです。

 さらにナセル湖には上流からの栄養豊富な水が溜まるので、魚が成長し、漁業が発展しました。
 1970年代にナセル湖を水中翼船で5時間ほど遡ったとき、途中で船員が残飯を湖に放り込むと、1m以上もあるナマズが次々と水面に飛出してくるという光景を見ましたが、それらを対象とした漁業が大発展し、以前の40倍以上に漁獲量が増加しています。
 また、ダムには発電所が作られ、210万kwの発電が出来るようになりました。北海道にある泊原子力発電所とほぼ同じ能力です。
 これは当時のエジプトの電力需要の半分ですが、現在でも13%に相当する規模です。

 ここまでは順調だったのですが、問題も発生しました。
 第一は想定内だったのですが、ナセル湖になる地域に多数の遺跡が存在し、それらが水没してしまうということです。
 1000近い遺跡が水没することになりましたが、とりわけ重要だったのが紀元前13世紀に建造されたアブシンベル神殿でした。
 これを何とかしようということで、ユネスコが動き、当時の金額で160億円ほどかけ、40万トンの石で作られた神殿を数万の石に切断して、高台に移設しましたが、多くは水没してしまいました。
 ただし、これが契機となって、世界遺産の制度が出来るという皮肉な功績もあります。

 第二は下流に住血吸虫病という風土病が爆発的に蔓延したことです。
 それまでは毎年の洪水で寄生虫の卵が海に押し流されていたのですが、灌漑水路に定着するようになったのです。
 第三は河口のデルタ地帯の地盤が低下してきたことです。
 ナイル川はダムが完成するまでは年間1億3400万トンの土砂を下流に運んできたのですが、それがダムでせき止められてしまうため、このまま進むと、河口から30km上流まで地中海が進出し、エジプトの農地の15%が消滅し、4000万人のデルタ地帯の住民のうち800万人の人々の住んでいる場所が消滅すると推定されています。
 さらにデルタ地帯で塩害が顕著になるという大問題も発生しています。
 デルタ地帯には地下から地中海の塩水が滲み出してきますが、それまでは毎年の洪水で洗い流されていました。ところが、その洪水が無くなったため、塩が土中に堆積して耕作の障害になりはじめたのです。
 5000年以上、世界で最も豊かな農地は10年間の土木工事で消滅することになりました。

 この20世紀の大事業が明らかにしたことは、自然の循環を人間が止めると、部分的には利益もありますが、それ以上の損失が発生することです。
 最近、三陸海岸に1兆円近い資金を投入して建設されはじめた防潮堤の是非がようやく問題とされるようになりましたが、この工事によって海と陸の間の循環が阻止されることが、どれだけの問題を発生させるかを、アスワン・ハイダムの経験から学ぶべきだと思います。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.