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論文

 昨日からアメリカのオバマ大統領が国賓として2泊3日で日本を訪問されていますが、迎賓館には宿泊せず、アメリカ大使館に隣接する一般のホテルに宿泊しておられます。
 また、最近、舛添東京都知事が6年後のオリンピック大会を目指して東京都の迎賓館を建設しようと提案し、その検討チームが都庁に発足するようです。
 そこで今日は迎賓館のあり方を考えてみたいと思います。
 迎賓館は国や地方自治体が外国の国家元首や政府の長をもてなす施設ですが、日本には「赤坂迎賓館」と「京都迎賓館」の二つがあります。

 赤坂迎賓館は後に大正天皇になられる嘉仁(よしひと)親王の住居である東宮御所として明治42(1909)年に建設されました。
 舛添知事が「赤坂にある迎賓館は西洋式。悪く言えばベルサイユ宮殿のまがい物」と発言していますが、それは間違いではありません。
 工部大学校造家学科の第一回卒業生の一人である片山東熊(かたやまとうくま)が宮内省内匠寮(ないしょうりょう)の頭、現在で言えば営繕部の部長として設計した建物ですが、この建物を設計するために片山は1897年から翌年まで欧米の視察に行っていますので、ベルサイユ宮殿などを参考にしているのは確かです。
 しかし、2009年に明治以後に建設された建物としては最初の国宝に指定されていますから、時代を象徴する建物であることには間違いありません。
 内部を見学したことがありますが、室内の装飾は名工の作が多いものの、住むのには不便そうで、実際、嘉仁親王もほとんど使われず、戦後すぐに昭和天皇にお使いなるようにとの提案がありましたが、使い勝手が悪いし、維持費がかかりすぎるとお断りになった経緯があります。
 その後、国立国会図書館や東京オリンピック組織委員会の事務所として使われたこともありましたが、1974年に改装されて迎賓館となり、その年に国賓として最初に宿泊されたのがフォード大統領でした。
 ちなみにフォード大統領は日本の開国以来、116年経って初めて日本を訪問したアメリカ大統領です。
 日本がバブル経済で威勢の良くなったときに、舛添知事の言葉のように、西欧の真似ではない日本独自の迎賓館を造ろうという気運が起こり、2005年に「京都迎賓館」が京都御苑の敷地の一部に完成しました。
 これは和風建築で、2007年にベトナムのグエン・ミン・チェット国家主席が最初に宿泊されました。

 そこで登場したのが、東京にも同じような施設を作りたいという舛添構想で、浜離宮恩賜公園か渋谷にある旧知事公館が候補に上がっています。
 前者はもともと徳川家の庭園で、明治時代以後、皇室の離宮でしたが、戦後に下賜されて東京都立の庭園になっています。
 しかし、国の特別史跡と特別名勝に指定されているため現状の変更は難しいのですが、建設の可能性があります。
 ここには明治2(1869)年に完成した「延遼舘」という石造の迎賓館がありました。
 1883年に鹿鳴館が完成した後には解体されてしまっていますが、1879年にはアメリカの南北戦争のときの北軍の大将であったグラント将軍が宿泊したという由緒もあり、それを復元するという案が浮上しています。

 後者の旧知事公邸は渋谷の住宅地にありますが、会津藩の最後の藩主松平容保(かたもり)の四男松平恒雄氏が1927年に建てた和風の邸宅のあった場所を東京都が購入し、1997年に和風の邸宅を壊して鉄筋コンクリートの2階建ての建物が建てられました。
 都営住宅を設計している都庁の営繕部が設計したため味気のない建物で、青島知事は利用したものの、石原知事になった99年以後は利用されず、30数億円で売りに出されていますが買手のない状態です。
 ここを建て替えて東京都の迎賓館にするという案もありますが、高級住宅地とはいえ、670坪ほどの敷地ではどうかという意見もあります。

 ところが世界を見渡すと、これが大国の迎賓館かという建物も少なくありません。
 アメリカは首都ワシントンのホワイトハウスの斜め向かいにある「ブレアハウス」が、大統領が賓客をもてなす施設になっています。
 19世紀に建てられた市街地の建物で、内部は床面積が6500平方メートル(2000坪)弱で部屋も119室ありますが、初めて見たときは、これが大国の迎賓館かと思うほど質素な外観でした。
 フランスの迎賓館はパリの大統領官邸のエリゼ宮殿の隣にあるオテル・ド・マリニで1869年にロスチャイルド男爵が建てた邸宅ですが、外側からはやや豪華なホテルといった程度の風情です。
 一方、韓国は大統領官邸である青瓦台の一部に1978年に建設された立派な迎賓館がありますし、タイもバンコクから北へ60kmのアユタヤにあるバーンパイン宮殿が迎賓施設として使われていますが、壮大なルネサンス建築やロココ建築が並んでいます。

 このように比較すると、日本の明治時代の延遼館や赤坂離宮が象徴するように、発展途上国時代は西欧風の壮大な建物を建てて外観で勝負しています。
 しかし、今回、オバマ大統領は赤坂離宮に宿泊されませんし、京都迎賓館もほとんど使われていないというように、時代は変わってきていると感じます。

 日本もかつては、わざわざ侘しいたたずまいの茶室などで接客していたわけですが、それを利用したのが1983年に中曽根総理大臣がレーガン大統領と会談をした東京の西多摩にある「日の出山荘」です。
 これは迎賓館としても使われるアメリカ大統領の別荘キャンプ・デービッドを参考にしたもので、面積50万平方メートルのキャンプ・デービッドにくらべて20分の1しかありませんが、レーガン大統領以後も、ロシアのゴルバチョフ元大統領や韓国のチョン・ドファン元大統領との会談にも利用され効果を挙げています。

 また壮大な迎賓館よりは、心のこもったもてなしの精神、つまりハードウェアよりはソフトウェアの精神に転換することも重要だと思います。
 フォード大統領は宮中晩餐会で昭和天皇に合われ、「人生でこれ以上緊張したことはない」と感想を述べるとともに、天皇のお人柄に魅了され、翌年、天皇をアメリカに招いています。
 オバマ大統領も昨晩は「すきやばし次郎」という建物の地下にある10人も入れば満席という小さな寿司屋で夕食を摂られたようですが、何百億円かけて一年に数回も使わない建物を用意するよりは、もてなし精神を駆使することが肝要だと思います。





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