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論文

 丁度2週間前に「日本創成会議」の「人口減少問題検討分科会」が発表した報告が全国に衝撃を及ぼしています。
 内容は25年後の2040年に、出産の可能性のある20代と30代の女性が2010年の半分以下になっている市区町村を推計したところ、ほぼ半数の896が該当し、それらを「消滅可能性都市」という衝撃的な名前で表現したためです。
 全国でその年代の女性が増加するのは15自治体しかなく、安泰そうな東京でさえ、豊島区、足立区、杉並区は半分近くに減少するという推計で、改めて日本の将来が憂慮すべき状態に直面していることを警告したことになります。
 このような事態が問題なのは、やはり国家の基盤は人口ですから、それが減少していくと国家自体が衰退、場合によっては消滅していく可能性があるからです。

 これについては興味ある体験があります。
 1998年に成立した小渕内閣で作家の堺屋太一さんが経済企画庁長官になられました。
 そのとき堺屋長官が、正式名称は忘れましたが「人口が減少しても発展した国家は存在するか」という研究会を開催し、歴史上、人口が減少した国家の興亡を調査されたのです。
 その結果に興味があったので、堺屋さんが長官を退任されてから、あの報告書を1冊下さいとお願いしたところ、あれは閣議で発表しないことに決定したので渡せないという返事でした。
 理由は明確にされませんでしたが、人口が減少しても発展した国家はないという結論になったので、国民の意欲に影響するという判断になったのではないかと推察します。

 そこで自分で調べてみると、そのような事例はいくつもありました。
 歴史的に有名な事例は以前にも御紹介した都市国家「ベネチア共和国」です。
 1571年にはレパントの海戦でオスマン帝国に大勝するほどの地中海の覇者でしたが、その頂点の時期から貴族の男子で結婚しない比率が増大し、17世紀には60%以上が未婚、さらに18世紀には66%にもなり、しかも結婚した夫婦のうち40%は子供が1人という数字が記録されています。
 そして1797年、ナポレオンに最後通牒を突きつけられ、闘わずして降伏し消滅しました。
 参考までに、現在の日本では20代後半の男子の未婚率が72%、30代前半で47%ですし、50歳になっても未婚の生涯未婚率は20%を越えています。
 また2005年の統計で、子供がいる家庭の比率はほぼ半分ですから、ベネチアに近付いている状態です。

 現代になってから、人口が減少して国家が破綻した代表は1917年のロシア革命によって登場した「ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエト連邦)」です。
 ソビエト連邦の人口は1950年には1億人強でしたが、その後、順調に増加し、頂点はソビエト連邦から「独立国家共同体(CIS)」に移行した直後の1992年で、1億4870万人になりました。
 ところが、そこから減少しはじめ、2011年には1億4280人となり、20年間で590万人と4%も減少しました。
 国連の推計では2050年には1億1180万人となり、最大の人口から3690万人も減少し、その頃の日本と同程度になります。
 このような急激な変化の原因は1955年に妊娠中絶が合法になり、70年代には飢饉を恐れた政府が夫婦あたり子供を2人までに制限したために減少しはじめたことです。

 さらに世界の先進諸国では平均寿命が増加しているのに、ソビエト連邦では1965年の69.5歳から90年に69.2歳、2000年に65.4歳と低下し、とりわけ男子は1986年の64.8歳を頂点に、ロシアになった94年には57.6歳まで激減するという状態でした。
 この男子の平均寿命の減少に影響しているのが自殺率の増加で、95年にはロシアの男子の自殺率は10万人あたり73人、2000年に71人、2002年には69人で、リトアニアに次いで世界第2位の高率です。
 日本も男性の自殺率は10万人あたり31人で少ない訳ではありませんが、ロシアはその2倍以上です。
 この人口問題だけが原因ではありませんが、1991年12月にソビエト連邦という国家が消滅したことに密接な関係があります。

 もう一つ人口減少が国家の消滅に影響したのが「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」です。
 第二次世界大戦後、敗戦国ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエトが分割統治しますが、米英仏の占領地域は1949年に「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」になり、ソビエトの占領地域も同じ年に「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」になります。
 東西分裂の初期には東ベルリンと西ベルリンの間は通行自由であったため、多数の東ドイツ国民がベルリン経由で西ベルリンへ移動し、特に1953年に東ベルリンで暴動が発生し、ソビエト軍が鎮圧に動いた時は1年で33万人が西側に亡命し、ドイツ民主共和国が誕生した1949年から60年までの12年間で、当時の東ドイツの人口の4分の1に当たる250万人が西側に移動しています。
 さらに61年4月には1ヶ月で3万人以上が西側に移動し、それらの大半は若者であったため、ついに8月には悪名高い「ベルリンの壁」が建設されてしまい、亡命者は大幅に減りますが、それでも年間平均2万2500人が壁を越えて行く事態になりました。
 そして1987年に東ドイツのトップであるホーネッカー国家評議会議長が西ドイツを訪問したことが契機となって、多数の国民が検問所に押し寄せ、一晩で数万人が西ドイツに移動し、壁も破壊され、翌年10月には東ドイツも消滅してしまいます。

 ベネチアもソビエトも東ドイツも事情はそれぞれ違いますが、共通しているのは人口の減少が国家消滅の原因になっていることです。
 このような大国ではなくても、第二次世界大戦後に消滅した国家は100カ国以上になります。
 日本の起源を何処にするかによりますが、現皇室の初代とする説もある継体天皇の御代から数えても1500年以上存続してきた日本も真剣に対策を考えるべき課題だと思います。





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