TOPページへ論文ページへ
論文

 今年5月に民間組織である「日本創成会議」が2040年には全国の地方自治体の半分で20歳から39歳の女性が半減し、いずれは消滅する可能性があるという報告を発表しました。
 そこで尻馬に乗った国の役所が、その対策となる構想を最近になって次々と発表しはじめました。
 総務省は「地方中核拠点都市構想」、国土交通省は「高次地方都市連合」、経済産業省は「都市雇用圏」という具合です。
 これを迅速な対応と誤解される方もおられるかもしれませんが、それは間違いで、そもそも日本の地方が消滅するような事態になっているということを、民間組織が指摘するまで気が付かず、対応を検討してこなかったということが、まず問題です。
 このような例はいくらでもあり、最近でこそ限界集落の対策を政府も口にするようになりましたが、1991年に高知大学の大野晃教授が長年、山村の集落の実態調査をされ、過疎という言葉では正確に表せない現実が進行していると危機感をもたれ指摘されたことが発端です。

 第二の問題は、知恵のない縦割り行政の最たるもので、それぞれの役所が構想の対象とする地域が重なっており、例えば、総務省が対象とする61都市のうち、88%の54都市は国土交通省が政策の対象とする都市と同じです。
 当然、重複した投資の可能性はあるし、対象となる地方自治体は複数の役所の顔を立てなければいけないという面倒なことになるので、内閣府に「まち・ひと・しごと創成本部」を設置し、各省には大臣が存在しているのに、それらを調整する担当大臣を任命するという笑話のような現実が進行しています。
 省庁は国を考えている訳ではなく、自分の役所の利権の拡大を考えているだけということがあからさまになったというわけです。

 第三の問題は、このような国が政策を構想し、地方が従うという仕組は、戦後、失敗の連続であったにもかかわらず、いまだに目覚めないということです。
 戦後、1960年代から70年代は重化学工業地帯を各地に開発する「新産業都市」や「工業整備特別地域」、80年代は軽薄短小工業を全国に分散させる「テクノポリス」、90年代には「国際会議観光(コンベンション)都市」などが実施されてきましたが、一部、成果をあげた地域もあるものの、パイの奪い合いで結果は相打ちで死屍累々です。
 そこで担当の新藤総務大臣でさえ「1718ある市町村には1718通りの活性化が必要」と発言し、これらの政策の対象外の小さな自治体の町長は「現地に来れば消滅の可能性がある地域がどういう地域かが分かるし、滞在すれば人々の営みの大切さがわかってもらえる」と発言しています。
 想い出すのは、石原東京都知事時代に、政府の役人が分厚い報告書を持って説明に来たときに、「君たちの現実は報告書の文章や数字でしかなく、本当の現実は知らないだろう」と批判されたということをご本人から聞いたことがありますが、まさにその通りで、国の役人は地方の現実を実感しているわけではないのです。

 実際、全国には国の政策を頼らず、独自の努力で問題を解決している地域がいくつもあります。
 徳島空港からバスで1時間半もかかる山奥に「神山町」という人口6000人ほどの過疎地域があります。
 戦後、林業が盛んな時代には2万人以上でしたから3分の1以下になるという激減です。
 当然、流入する人口よりも流出する人口の方が多かったのですが、21世紀になってから差がわずかになり、2012年には流入人口がプラス12人になるという歴史的快挙を達成しました。
 もともと芸術家が町内に生活して屋外に芸術作品を作る「アーティスト・イン・レジデンス」活動などで注目されていたのですが、大きな変化の契機となったのが、地上デジタル放送の難視聴対策として、2004年に100mbpsの光通信ネットワークが町中に敷設されたことです。
 空家はいくらでもあるので、2008年に「移住交流支援センター」を設立したところ、情報通信関係の会社のサテライトオフィスが10社以上もでき、わずかとは言え流入人口が増えるという成果になったという訳です。

 島根県の沖合60kmの日本海の離島にある「海士町(あまちょう)」も話題になっています。
 ここも戦後の6700人くらいから3分の1の2400人弱に人口が減ってしまいました。
 ところが最近、転入人口が20人前後多くなるような年が出現し、過去5年の累計では、わずか7人ですが転入者のほうが増えるという快挙となりました。
 これも偶然ではなく、1998年には外部の人間を月給15万円で雇って地元の海産物を商品にする仕事を頼んで「島じゃ常識!さざえカレー」や「海士乃塩」などヒット商品を開発し、2004年には子供を増やそうと第3子の誕生には50万円、第4子には100万円を提供する条例を制定するなどの努力をしてきた成果です。
 さらに2005年には役場の職員が給与を22%も自主返上してやる気を示しました。
 これで給与水準を示すラスパイレス指数は全国の自治体の中で最低になりましたが、感動した町民が、これまで受けていた補助金などを返上するという美談にもなっています。

 先週末、牡鹿半島の南側にある「網地島(あじしま)」という離島に行ってきました。
 石巻港から船で1時間かかる不便な島ですが、対岸の牡鹿半島の鮎川に捕鯨基地があった1950年代には乗組員が住居を構え3000人以上の人口で、小中学校もありましたが、現在では400人をわずかに越えるまでに減り、学童は2人になり、65歳以上の比率が80%という超高齢社会になっています。
 ところが県庁から派遣されてきた職員と島の高齢者が一体となって、仙台の養護施設にいる子供たちを招いて「網地島ふるさと楽好(がっこう)」を開くようになりました。
 海で釣りをしたり泳いだりし、夕方には海産物の大宴会で子供たちが本当に生き生きとしており、島の高齢者も孫子を相手にするように楽しそうでした。
 これは人口が増えるというわけではありませんが、超高齢社会のあり方の一例だと思います。
 現場を知らない国の役人の一律の政策ではなく、1718通りの活性化を考えれば、地域が元気になる道はいくらでもあると実感した次第です。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.