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論文

 富岡製糸場が今年4月に世界遺産に登録されて、世界遺産ブームも一休みという状態ですが、次に登録を狙っているのが、「北海道と北東北三県の縄文遺跡群」「九州・山口を中心とする産業革命遺産」「大阪の百舌鳥(もず)・古市古墳群」「長崎・熊本のキリスト教会と関連遺産」の4つが有力候補で、それ以外にも「国立西洋美術館」「武家の古都・鎌倉」「彦根城」「佐渡金山」「宗像・沖の島と関連遺跡群」「飛鳥・藤原の宮都と関連遺跡群」など6つが暫定リストに上がっています。
 世界遺産を管理しているユネスコには、これ以外に「無形文化遺産」や「記憶遺産」もあり、世界各国が熱心に応募しています。

 このユネスコの遺産活動が火付け役となって、現在、日本には遺産ブームが発生しています。
 大別すると2種類になり、一つは世界遺産には及ばない地域の遺産を自治体が歴史遺産に指定する制度で、例えば「北海道遺産」は北海道庁が北海道ならではの自然や建造物、食事などを後世に伝えようと合計52件を選んでいます。
 自然では「石狩川」「雨竜沼湿原」「摩周湖」、建造物では「松前城」「五稜郭」「ニシン番屋」など納得できますが、「北海道ラーメン」「ジンギスカン」なども選定されています。
 他に佐賀県の「22世紀に残す佐賀県遺産」、長崎県の「長崎の近代化遺産」などがあります。

 もうひとつは学会など学術団体が制定する制度です。
 古いものでは1985年に産業考古学会がはじめた「推薦産業遺産」で、明治33(1900)年に神戸市の六甲山中に建造された「布引ダム」、1935年に愛媛県長浜町に建造された可動式鉄橋をはじめ100近くが認定されています。
 さらに2000年には土木学会が認定する「土木学会選奨土木遺産」が始まり、初年度に指定された隅田川に架かる「永代橋」「清洲橋」などをはじめ、毎年10前後が選定され、現在では300近くが選ばれています。

 それ以後、21世紀になると急速に増え、日本機械学会の「機械遺産」(2007)、化学史学会の「化学遺産」(2010)、地盤学会の「地盤遺産」(2010)、日本造園学会の「ランドスケープ遺産」が創設され、昨年には日本森林学会の「林業遺産」、(2011)日本ばね学会の「ばね技術遺産」(2011)、日本トライボロジー学会の「トライボロジー遺産」(2011)などが一気に登場しています。
 専門分野の人しか関心のない遺産も多く、例えば、ばね技術遺産の第1号はアメリカ製の「ユニバーサル・コイリングマシン」という自動でバネを作る機械、トライボロジー遺産の第1号は「転がり軸受第1号設計図」という1916年の図面です。

 さらに官庁も乗出し、文化庁が「近代化遺産」、経済産業省が「近代化産業遺産」を制定し、いまや遺産ブームです。
 大学もこのブームに便乗し、京都造形芸術大学、東北芸術工科大学、京都橘大学にも歴史遺産学科、花園大学に文化遺産学科が新設されています。

 なぜ現在、このようなブームが発生するかを考えてみたいと思います。
 世間で遺産というと、一般には成功した親などが亡くなったときに残してくれた財産のことです。
 それを社会に当てはめてみれば、急速に発展していた社会が安定して終わりを迎える時期に、その繁栄時代の文物が遺産として注目されるということです。
 逆に言えば、急速に成長し発展しているときには遺産などに社会は関心がないというわけです。
 例えば、トヨタ自動車がまだ豊田自動織機製作所であった1935年に第一号の自動車を製造していますが、それは保存されておらず、博物館を作るときに複製を作っていますし、多くの企業で第一号機は以外に保存されていないのです。
 新しい製品開発に熱中しているときに遺産などは思い浮かばないわけです。

 中国には「乱世の金銀、太平の骨董」、すなわち社会が変化しているときには現実の経済に価値があり、平穏な時代には骨董が財産の対象になる言葉がありますし、日本の太平の時代の代表である江戸時代の三大道楽は「園芸」と「釣り」と「骨董収集」でした。
 例えば、文政7(1824)年から翌年にかけて、江戸で「耽奇(たんき)会」、すなわち珍しいものを自慢しあう会合が20回も開かれ、作家の滝沢馬琴、画家の谷文兆など当代著名の文人が自慢の書画や器物を持ち寄って論評をしており、その内容が全20巻になる『耽奇漫録』という書物となっています。
 一例として、紀貫之が板に書いたといわれる「月」という文字の欠片、白隠和尚が仮名を振ったという文書の紙切れ、赤城山より発掘された矢じりなど、お宝鑑定団に持込まれるような品々と、その議論の経緯が絵入で記録されています。
 そのなかで、ある器物の使用方法について、滝沢馬琴と文筆家の山崎美成(よししげ)の間で論争になり、絶交状態になったというほど熱が入っていました。
 この山崎美成は繁盛していた薬屋の跡取りでしたが、和漢東西の書物を集めるのが趣味で家産を傾けた人物です。
 文化文政年間は町人文化がもっとも栄えた時代ですが、そのような安定した時代には骨董という遺産に熱中する社会風潮が発生するということです。

 このような視点から昨今の遺産ブームを眺めてみると、明治時代から始まった日本の産業革命が成功し、一九八〇年代には頂点に到達しましたが、その後のバブル経済の崩壊やリーマンショックで停滞の時期となり、改めて成長時代の産業遺跡や産業製品を懐かしんでいるという光景に見えます。
 社会として遺産を保存することは必要ですが、それを懐かしんで、その遺産で地域発展をしようというのでは新しい時代は迎えられないと思います。

 最近、舛添東京都知事が東京五輪・パラリンピックについて、どのようなレガシー(遺産)を残すかが重要だと発言しておられますが、この背景には2001年に国際オリンピック委員会会長に就任したジャック・ロゲ会長による「オリンピック・レガシー」という提言があります。
 オリンピック大会も100年が経過して、かつての国威発揚中心時代が終わり、新しい展開をする必要に迫られており、これまでの遺産を整理しようというわけです。
 そう考えると、世界そして日本の遺産ブームも長期的にみれば、20世紀の最後を境に、社会の構造が変化したことを反映しており、遺産を有効活用することは否定しませんが、新しい時代を創り出す活動を活発にしないと「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」になりかねないと思います。





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