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論文

 先月末にイスラム国が占拠しているイラク北部の都市モスルにある博物館の文化財の石像などを破壊している映像が公開されました。
 さらに先週にはモスルから南東に30km離れた古代アッシリア帝国の首都であったニムルドにある古代メソポタミア文明を代表する遺跡群を破壊しているという情報もあります。
 実は今日はこのような行為に関係する日なのです。

 2001年2月26日にタリバンがアフガニスタンの首都カーブルから230km北部にあるバーミヤン渓谷にある断崖に6世紀に彫られた巨大な石仏を破壊すると宣言し、14年前の今日3月12日、実際に高さ55mと38mの2体の仏像を爆破しました。
 この一帯は1983年から「バーミヤン渓谷の建造物群」として世界文化遺産への登録が検討されていましたが、戦争のため調査などができず、結局、タリバンに破壊された後の2003年に世界危機遺産として登録されました。

 これは残念なことですが、歴史には何度も発生していることです。
 ナイル川の河口から800kmの地点に1960年からアスワンハイダムの建設が始まります。
 この巨大ダムにより、上流にかけて長さ550km、面積が琵琶湖の8倍もあるナセル湖と名付けられた人造湖が実現することになり、紀元前13世紀にラムセス2世が建設したアブシンベル神殿などが水没することになってしまいました。
 当初は湖底に沈んだままにする予定でしたが、ユネスコが遺跡水没救済キャンペーンを行い、世界60カ国が援助して、石造の神殿を切断してブロックにし、60m高い湖岸に移築しました。
 この危機をきっかけにして、1972年に世界遺産条約が成立し、世界遺産第一号としてアブシンベル神殿が登録され、現在では、エジプトの重要な観光施設となっています。

 カンボジアにあるアンコールワット寺院は12世紀前半に建設され、世界文化遺産にも登録されているヒンドゥー教寺院ですが、1970年代にカンボジア共産党のクメール・ルージュが政権を取ると、大量虐殺を進めると同時に、アンコールワット寺院も破壊し、石像の多くは砕かれて道路の敷石にされました。
 さらに1979年に政権を追われたクメール・ルージュが寺院を本拠としたため、さらに破壊が進むことになりました。

 これは決して発展途上国だけの問題ではなく、日本にも存在した問題です。
 昨日は東日本大震災発生から4年経過した日ですが、地震多発地帯の日本では地震や津波で過去に何度も大量の文化財が喪失しています。
 また日本の文化財は木造の建物や彫刻などが多いので火災で焼失したものも数多く存在します。
 1467年から10年間続いた応仁の乱では戦場となった京都全体が壊滅していますし、その100年後には織田信長と対立した比叡山延暦寺が全山焼打ちに会っています。

 多神教の背景がある日本では宗教が原因の文化財破壊はないと思われるかも知れませんが、実は明治初期に宗教を背景とした大規模な文化財破壊が発生しています。
 明治元(1868)年に政府が出した「神仏分離令(正式には神仏判然令)」による廃仏毀釈運動です。   
 日本の神社や寺院の大半は「神仏習合」であり、日本古来の神道と6世紀に伝来した仏教を一体として崇拝する場所でした。
 ところが江戸中期から、いくつかの藩では国学の興隆により神仏分離が行われるようになり、明治政府は「祭政一致」を実現する象徴として、神仏習合を禁止することになり、神仏分離令を発し、仏教寺院が受けていた特権を廃止することにします。

 本来の意図は神道と仏教を分離することでしたが、結果として廃仏毀釈、すなわち「仏を廃し、釈迦の教えを壊す」という運動に発展していきます。
 薩摩藩は徹底して廃仏毀釈を推進し、藩内の仏教寺院はほとんど破壊されるほどでしたし、伊勢神宮のある伊勢国でも多数の仏教寺院が破壊されています。
 さらに明治4(1871)年には「寺社領上知令」が発せられて、寺院の境内以外の寺領を国が接収することになります。
 その結果、興福寺は寺領を接収されて運営できなくなり、五重塔と三重塔を売りに出したところ、ある商人が25円で買うことになります。
 その商人は塔に火を点けて燃やし、金具など金属だけを回収しようとしたのですが、類焼を恐れた周辺の住民の反対が起き、結局、塔は生き残りました。
 どちらも現在では国宝です。
 この廃仏毀釈運動によって多数の文化財が破壊されただけではなく、海外へ散逸した仏像なども多数あります。

 このような活動をどのように判断するのかは難しい問題です。
 2012年になってタリバン政権の幹部は「大仏破壊は正しい決断ではなかったと、今だから言える」と釈明していますが、文化財が戻ることはありません。
 明治13(1880)年8月に岡倉天心は、御雇外国人で東京大学教授として美術を教えていたアーネスト・フェノロサを奈良に案内しますが、寺院が荒廃し、仏像が捨てられている状況を見て、2ヶ月後に文部官僚になったのを機会に修復などを訴えますが、逆に文明開化派によって文部省を追出されてしまいます。
 バーミヤンの遺跡はインド文化やヘレニズム文化が融合したものですし、日本の神道と仏教は神仏習合として融合していました。
 そのような文化を政治的な目的で破壊したのがタリバンや明治政府の判断だったということになりますが、それらは修復しても戻ることのない傷跡になっています。
 人によっては文化や遺跡よりも政治や宗教の方が重要だという意見があると思いますが、戻らないものを消滅させることは慎重に検討する必要があると思います。





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