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論文

 6月25日に開かれた自由民主党の文化芸術懇話会が問題になっています。
 もちろん何人かの議員のマスメディアに対する異常な感覚は議論以前の問題ですが、それ以上に、文化芸術を権力維持に利用しようという自由民主党の発想が社会の構造を理解していない深刻な問題だと思います。
 かつて芸術は文化芸術懇話会が目指すような役割をしていました。
 バッハの作曲したカンタータやミサ曲などはキリスト教会という当時の権力の維持に奉仕する仕事でしたし、テレマンのターフェル・ムジークという音楽は宮廷の宴会の伴奏音楽でした。
 美術においても、ベラスケスはスペイン王室の宮廷画家として人生の大半を過ごしていますし、ダヴィッドはナポレオンの首席画家として「ナポレオン一世の戴冠式」「サン・ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト」など、ナポレオンの雄姿の大作を描いています。
 古代エジプトの王を称える壁画を描いた画家、近世の宮廷画家や宮廷作曲家、日本では室町幕府から徳川幕府まで400年にわたって御用絵師であった狩野派など、多くの芸術家は権力者をパトロンとして活動しており、矛盾を感じることはありませんでした。

 ところが、産業革命などによって資本家など新興勢力が台頭して市民社会が登場してくると、ベートーベンのように、楽譜を販売し、作曲を教え、演奏会を開くことにとって生計を立てるというように、一般社会をパトロンとする作曲家が登場するようになります。
 狩野派の絵師も明治時代以後は一般社会の需要に応えて絵画を書かざるを得ない境遇になりました。

 パトロンが交替してからの芸術の役割は、美しい絵画を描き、美しい音楽を作曲して多くの人々を感動させることだと思われますが、より重要な役割は既存の秩序へ挑戦することだと思います。
 芸術作品は二番煎じに価値がありませんから、絶えず新しい分野を開拓していくことが必要になりますが、その結果、既存の秩序を否定することにもなっていく訳です。
 ある有名なファッション・デザイナーと対談したときに、ファッション・デザインの目指していることは、多くの人が欲しいと思う服を提供することではなく、例えば、作業着として作られたジーンズを公式の場でのフォーマルな衣装にするとか、穴の空いたズボンを履くことを恥ずかしいことではなく新しい自己表現をすることだと言っていましたが、そのような意欲こそ近代以後の芸術家に求められる役割だと思います。

 しかし、そのように変化した時代にも芸術家が既存の秩序に取り込まれる例は数多くあります。
 代表はヒトラーの支配した第三帝国時代で、初代国民啓蒙・宣伝大臣に任命されたゲッペルスは芸術家を駆使して広報活動を推進します。
 例えば、ニュルンベルクで開かれた国家社会主義ドイツ労働者党大会の会場の演出には建築家アルベルト・シュペーアが任命され、その記録映画「信念の勝利」には女性監督レニ・リーフェンシュタールが起用され、国民がナチスを賞賛する雰囲気を創り出すことに成功しています。
 それらの功績によって、シュペーアは37歳で軍需大臣に抜擢され、リーフェンシュタールは34歳で1936年のベルリン・オリンピック大会の記録映画「オリンピア」の監督を任されます。

 ソビエト連邦のスターリンも同様のことを実行しますが、ヒットラー以上に問題だったのは芸術活動だけではなく、科学技術までをも政治活動に取り込んだことです。
 有名な例は遺伝学の分野のルイセンコ学説の推進です。
 ソビエト連邦の生物学者トロフィム・ルイセンコが秋撒き小麦の種子を湿らせて冷蔵しておくと春撒き小麦に変わるというメンデルの法則を無視した説を唱え、これを努力によって人間の素質が変化すると拡大解釈したスターリンに重用され、大物になっていきます。
 実験をしても成功しなかったのですが、それは農民の作業手順に間違いがあったとされて、逆に多数の農民が収容者に送られるという異常事態になります。
 ルイセンコはレーニン勲章を8回受賞、スターリン賞を3回受賞する一方、反対する学者を強制収容度に送るなどしたため、ソビエト連邦の生物学は大幅に遅れることになります。

 しかし、これは過去の問題ではなく、現代社会ではますます厄介な問題になっていきます。
 19世紀まで科学は個人の研究が中心でした。
 私のもっとも好きな科学者はヘンリー・キャベンディッシュという18世紀後半から19世紀に活躍したイギリスの科学者ですが、両親が膨大な遺産を残してくれたおかげで、生涯、自分の関心のある研究だけをして過ごすことができました。
 その結果、世界で最初に水素を発見し、酸素と水素の反応によって水が合成されることを発見し、シャルルの法則をシャルルが発表するより8年以上前に発見し、オームの法則をオームが発見するより46年前に発見していましたが、ノートに書き留めるだけで満足し、発表することはなかったという変人です。

 このように発見の楽しみが科学の本質だったのですが、科学が社会に役立つことが期待されるようになって、ビッグサイエンス(巨大科学)という大規模な予算を必要とする研究が国家の競争のために必要になると、科学は予算配分をする政権の思惑を反映するようになり、迎合する科学者も増えてくるようになります。

 さらに権力と密接に関わらざるを得ないのが建造物です。
 個人の住宅や企業の事務所程度であれば、権力と関係なく設計できますが、ピラミッド、大仏殿、大聖堂、国会議事堂など巨大な建物や新しい都市を計画するとなれば、権力を保持している組織の意向を反映することが重要になります。
 その結果、芸術家としてだけではなく商売人としての才能のある建築家が活躍することになり、最悪の場合、シュペーアやリーフェンシュタールの再来になりかねません。

 現在発生している国立競技場の問題も同じで、国家という発注者の意向を反映する容器を建設すると考えれば簡単ですが、建築家の芸術活動として考えると、秩序への従順と挑戦という自己矛盾が発生します。
 現在の混乱は文化芸術懇話会と同じ根から発生していることになります。





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