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論文

 約330年前の元禄2(1689)年の来週月曜3月27日(新暦では5月16日)は松尾芭蕉が弟子の河合曾良を伴って、江戸深川から奥の細道に旅立った日です。
 芭蕉といえば俳句ですが、最近、その俳句への関心が広がっているようなので、その様子を紹介させていただこうと思います。

 俳句は五七五の合計17音で表現する世界最短の定型詩ですが、その起源は鎌倉時代から室町時代にかけて登場した俳諧連歌にあります。
 これは複数の人が上の句五七五と下の句七七を交互に詠んでいくものですが、寛文2(1662)年3月に詠まれた例を紹介しますと
     旅衣 こぬ春に会う やどりかな(五七五)
     問うや冬木の 梅開く庭(七七)
     すだれ巻く 月に軒端の 雪散りて(五七五)
     あけて静かに なれる山風(七七)
のように延々と繰返していくわけです。
 もともとは庶民の遊戯に近い文芸でしたが、最初の五七五「発句(ほっく)」のみを独立させて芸術性を高めたのが俳句で、その始祖が芭蕉というわけです。

 江戸時代から流行していましたが、戦後、俳句界に激震が走りました。
 1946年、東北帝国大学助教授(42歳)であった桑原武夫が雑誌に「第二芸術」という文章を発表したのです。
 この論文では、大家の俳句と素人の俳句を、作者名を伏せて15句並べ、大家の作がどれかは区別できないであろうと批判し、「老人や病人の余技として、消閑の具にするのがふさわしい」と指摘し、芸術と言い張るのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育から締め出すべきという強硬な意見を主張しました。
 当然、俳句界からは強烈な反論があり、それが逆に俳句への関心を高めることにもなったのですが、何となく鎮静していました。

 それが最近、社会の関心を惹くようになったのは、色々な競技が行なわれるようになった影響です。
 大きな契機を作ったのは、1981年に缶入りウーロン茶、84年に缶入り煎茶を開発した伊藤園でした。
 最初の製品名は「缶入り煎茶」という味気ない名前でしたが、89年に「おーいお茶」に変更し、さらに翌年にペットボトル入りの緑茶を発売し、これを宣伝するため同じ年に「おーいお茶・新俳句大賞」という競技を始めました。
 これは当初、応募数が4万1000ほどでしたが、受賞した俳句がペットボトルの外側に名前入りで印刷されるということで人気になり、1999年には100万、2004年には150万を突破し、累計でも1000万句に到達し、最近では累積で3000万句に接近するほど、俳句の普及に貢献することになりました。
 俳句の効果だけかは分かりませんが、ペットボトル入の緑茶の市場全体の売上も発売当初は40億円程度でしたが、最近では100倍の4000億円以上になっています。

 さらに俳句浸透に貢献したのが1998年から愛媛県の松山青年会議所が始めた「俳句甲子園」です。
 松山市が始めたのは、言うまでもなく明治初期に俳句の近代化を推進した正岡子規の出身地という関係です。
 当初は愛媛県内の9校だけの地域行事でしたが、2年後の第3回には4県の14校、昨年の18回は32都道府県の95校が参加する大会となり、若い世代が俳句に関心を持つようになりました。
 それ以外にも全国各地で70以上の俳句コンテストがあるほど盛況です。

 ところが最近は、和食や温泉など日本の伝統文化や新幹線や建築など最新技術が世界の注目を集めているように、俳句にも世界で関心が高まっているのです。
 すでに19世紀にオランダ人が俳句を残しているなどの記録がありますし、学習院大学教授レジナルド・プライスが1949年に俳句を紹介する英文の書籍を発行していますが、意識的に海外で俳句を普及させたのは日本航空でした。
 東京オリンピックの開かれた1964年にアメリカで「俳句コンテスト」を呼掛けたところ4万1000もの応募があり、その後も不定期にアメリカ、カナダ、オーストラリアなどで「俳句コンテスト」を開いてきました。
 1990年からは日航財団が引き継いで、隔年に15歳以下の子供を対象にした「世界こども俳句コンテスト」を開催し、その成果を「地球歳時記」として出版しています。
 最近では40カ国以上から応募がありますが、一部を紹介しますと、
 ・カナダの13歳の子供の作品
  Rain drops falling down/Silently calmly nicely/Like the world in peace
  (雨の滴が落ちる/静かに穏やかに優しく/平和な世界のように)
 ・フィリッピンの12歳の子供の作品
  Flow is heard/The continuous song/of the gushing water
  (河の流れが聞こえる/途切れのない歌のように/ほとばしる水)
という具合です。    
 日本の伝統的な俳句では、五七五の17音節で作る、「かな/や/けり」という切れ字を使う、季語を使うなどの規則がありますが、海外では、3行で書く、季節感を出すという程度で自由詩に近い形式になっています。

 国際普及のために、1989年に設立された国際俳句交流協会によると、英語圏以外に、スウェーデン、ルーマニア、ブラジル、インドなど、約30カ国と交流があり、インターネット経由の投稿なども含めると、俳句人口は70カ国200万人程度になっているのではないかと推測されています。
 日本の俳句人口の明確な統計はありませんが、200万人から300万人ではないかと言われていますから、海外での普及が進んでいることが分かります。
 そのような背景を踏まえて、芭蕉の生誕地である三重県伊賀市が中心になって、俳句をユネスコの無形文化遺産に登録しようという動きもあるほどです。
   有名な「古池や蛙飛込む水の音」は英語では、
   An old quiet pond/A frog jumps into the pond/Splash! Silence again
となり、日本人には違和感があると思いますが、日本の文化を理解してもらうことが日本の国際社会での評価を高めることにもなるので、和食、和紙、能楽などの無形文化遺産だけではなく、このような文芸が登録されることも重要だと思います。





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