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論文

 いよいよリオデジャネイロ・オリンピック大会が始まり、日本選手のメダル獲得も増えてきました。
 開会式も環境問題や民族問題を取り上げる現代社会に対応した意欲的な内容でしたが、やはり多くの国民の関心は、メダルがいくつ、とりわけ金メダルがいくつ獲得できるかではないかと思います。
 これは表現を変えれば、何回、国旗が掲揚され、何回、国家が演奏されるかということになります。
 そして絶妙のタイミングですが、明日8月12日は「君が代記念日」なので、国歌である「君が代」のあれこれについて御紹介したいと思いますが、その前に国旗である「日章旗」について由来を紹介したいと思います。

 白地に赤丸の通称「日の丸」の起源は諸説ありますが、源平合戦のときに平氏は「赤地に金色の丸」、源氏は「白地に赤色の丸」の旗を使用しており、源氏が勝ったので、その「白地に赤丸」が天下統一した者の象徴として使われ、江戸時代まで受け継がれていました。
 さらに幕末になると、外国の船が日本近海に出没し、幕府の船を示す標識として日の丸を使うことが安政元(1854)年に決定されます。
 一説では、1855年に薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)が洋式軍艦「昇平丸」を幕府の海軍に献上するときに日章旗を船尾に掲げたのが最初という説もありますが、その前年(1854)に竣工した幕府の「鳳凰丸」に日の丸を掲載した方が先のようです。

 明治時代になり、明治3(1870)年1月27日に「商船規則」が制定され、現在とは縦横比などが違いますが、日の丸を日本船の目印として掲載することが決まり、民間団体である国旗協会は1月27日を「国旗制定記念日」としています。
 戦後、連合国軍総司令部が1945年から49年まで日章旗の掲揚と君が代の斉唱を禁止していた時期がありましたが、49年1月1日から自由になりました。
 しかし、一部の組織が日章旗を国旗とする正当性に疑義を唱え、入学式や卒業式などに掲揚するかどうかの問題が頻発したため、1999年8月13日に「国旗及び国歌に関する法律」が公布施行され、第一条で「国旗は日章旗とする」、第二条で「国歌は君が代とする」と定められました。

 さて君が代は先程のように正式には1999年に国歌となったのですが、歌詞は平安時代の勅撰和歌集である『古今和歌集』に収められた詠み人知らずの歌で、お目出度いときには詠まれていたようです。
 明治時代になり、イギリス公使館の軍楽隊長フェントンが薩摩藩軍楽隊に儀礼に使用する国家を作るのが良いと進言したため、後に陸軍元帥になる大山巌の愛唱歌であった薩摩琵琶の「蓬莱山」の歌詞にフェントンが作曲したのですが、洋風であったために普及せず、何人かが改訂したものが定着しました。
 そして明治26(1893)年8月12日に、文部省が小学校で御祝いのときに歌う「祝日大祭日歌詞ならびに歌曲」として8曲を告示し、その中の1曲が君が代であったため、明日が「君が代記念日」になったという経緯です。

 君が代は1903年にドイツで開催された「世界国歌コンクール」で一等賞を受賞していますが、行進曲風の勇ましい旋律が多い中で、短いながらも穏やかな歌詞と旋律が評価されたのだと思います。
 現在の世界各国の国家の歌詞を比較してみると、君が代が大変に異質であることが分かります。
 勇ましい歌詞で有名な国歌はフランスの「ラ・マルセイエーズ」です。
  「行け 祖国の子らよ 栄光の時は来た
   我らに向って圧政の血に染まった軍旗が掲げられた
   (途中省略)
   武器を取れ 市民たち 隊伍を整えよ
   進め 進め 汚れた血が我らの畑を潤さんことを」
 なにしろフランス革命の最中に作られたので勇ましいのですが、サッカーの試合前には勢いづく内容かも知れません。

 中国の国歌「義勇軍進行曲」も似ています。
  「起て 奴隷となるを望まぬ民よ
   我らが血肉をもちて築こう 新たな長城を
   (途中省略)
   我々が心を一つにして 敵の砲火を突いて進め
   前進 前進 前進」
 これも1935年の抗日映画の主題歌ですからサッカー向きです。

 トルコの「独立行進曲」も
  「恐れるな! 暁にたなびく この赤い旗は
   決して消えることはない
   (途中省略)
   たなびく新月旗よ 勇敢なる我が民族に微笑め
   正当な権利なのだ 神を敬う者 我が民族の独立は」
 これは1923年にトルコを独立させた英雄ムスタファ・ケマル・アタチュルクが連合国と戦うときに生まれた歌です。
 これらと比較すると、世界の国歌の中でもっとも短い「君が代」は歌詞の内容でも旋律でも異質であることが分かると思います。

 7月3日に行なわれたリオデジャネイロ五輪大会の日本選手団の壮行会で、陸上自衛隊員が国家を独唱した後、森喜朗組織委員長が、選手たちに「どうしてみんな揃って国歌を歌わないのか? 歌えないような選手は日本の選手ではない」と強い口調で発言されました。
 今回は会場で「国歌独唱」とアナウンスされたので、選手の責任ではなく、森委員長の誤解もあったのですが、日本オリンピック委員会の「日本代表選手団の行動規範」には「脱帽し、姿勢を正し、日の丸を直視し、君が代を斉唱すること」と規定されていますので、森委員長の発言も理解できる内容でした。
 実際、サッカーの国際試合などの国歌の演奏でも、多くの外国選手は大きな声で歌っているのに、日本は無言や口を動かすだけの選手を多くみかけます。
 しかし、この森委員長の発言が影響したのか、リオデジャネイロ大会で金メダルを獲得した男子体操の表彰式では、選手たちが「声が裏返っても歌ってやろう」という意気込みで「君が代」を歌っていました。ぜひリオデジャネイロで何度も「君が代」が歌われることを期待しています。





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