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論文

 今年も大隅良典(おおすみよしのり)博士がノーベル生理学・医学賞を受賞され、日本にとっては嬉しい結果になりました。
 ノーベル賞を1回受賞するだけでも大変な栄誉ですが、これまで複数回受賞した学者が何人もいます。
 比較的知られているのがポーランド出身のマリ・キュリーです。
 最初は1903年にアンリ・ベクレルと夫のピエール・キュリーと3人で放射能の研究により物理学賞、1911年にはラジウムとポロニウムの発見により単独で化学賞を受賞しています。
 アメリカ人のジョン・バーディーンは、1956年にはトランジスタの発明によって3人で物理学賞、1972年には超伝導現象を説明する理論で、やはり3人で物理学賞を受賞しています。
 イギリス人のフレデリック・サンガーは蛋白質の組成の解明によって1958年に化学賞を単独で受賞、さらにDNAの塩基配列の決定法で1980年に再び化学賞を3人で共同受賞しています。
 もう一人はアメリカ人のライナス・ポーリングですが、化学結合の仕組を発見して1954年に化学賞を単独受賞、そして1962年には地上核実験の反対運動を推進したことで単独で平和賞を受賞しています。
 しかし、このノーベル平和賞については、個人ではありませんが、赤十字国際委員会が1917年、1944年、1963年の3回、国連難民高等弁務官事務所が1954年と1981年の2回受賞しています。

 世界でもっとも知られた賞を複数回受賞することは大変な業績ですが、1901年にノーベル賞が創設される以前に、何度もノーベル賞に十分に値する業績を挙げていた学者が居ます。
 ヘンリー・キャベンディッシュというイギリスの学者です。
 簡単に経歴を紹介しますと、父親はデボンシャー公チャールズ・キャベンディッシュ、母親はケント公の四女アン・グレイという貴族を両親とし、母親が療養生活をしていたフランスのニースで1731年に生まれます。
 母親の死後、ロンドンで父親と生活し、18歳でケンブリッジ大学に入学しますが、なぜか卒業はしませんでした。
 伯父や伯母、さらには父親から巨額の遺産を相続し、生活に困ることなく、ロンドンに住居と別邸、さらに郊外に別荘も構え、優雅に暮らしていました。

 唯一の趣味が物理や化学の研究で、自宅には多数の実験装置を備え、別邸には膨大な蔵書を置いて、毎日、研究のみに明け暮れていました。
 非常に変わった性格で、イギリスで国王に次ぐ金持と言われるほどの資産を持っていましたが、金銭にはまったく関心がなく、あるとき、イングランド銀行の行員が預けたままの資産を運用されたらどうかと説明にきたときに、自由に運用してくれて構わないが、そのような下らないことで、また説明にきたら、全額を引出してしまうと言ったという逸話があります。
 その財産を知って、多くの人が寄付を求めてくると、それまでの一覧表を見て、一番高額の人と同額を寄付していたため、偽の一覧表を持ってくる人もいたそうですが、構わず最高額を寄付していたというほど金銭に無頓着な人でした。

 金銭以上に無関心であった対象が人間で、蔵書を別邸に置いていたのは、自宅に置いておくと、借りに来た人がついでに挨拶に訪れるのが煩わしいからでした。
 人間の中でもとりわけ嫌いだったのが女性で、家には何人もの女性の使用人がいましたが、食事は毎回ヒツジの股肉で、ドアの外に食べたい時間をメモしておくと、使用人が食事を置いておき、それを一人で食べて、食器をドアの外に出しておくという生活でした。
 屋敷の中で出会うのも嫌って、女性の使用人専用の通路や階段を作り、運悪く出会った使用人は解雇してしまったと言われています。
 当然、生涯独身でした。

 さらに関心がなかったのは発見した事実を発表することでした。
 王立協会に所属していましたが、その雑誌に論文を発表したのは生涯に18編だけで、それ以外は膨大な実験記録をノートに残しただけでした。
 死後、ケンブリッジ大学総長になった親族がキャベンディッシュ研究所を寄贈し、その膨大な実験記録も寄贈したため、初代研究所長になった電磁気学の大家ジェームズ・クラーク・マクスウェウが細かく調べた結果、大変なことが判明しました。

 1785年にシャルル・ド・クーロンが荷電した粒子に作用する引力や斥力を計算する「クーロンの法則」を発表しますが、それよりも13年前にキャベンディッシュが発見していたのです。
 ジャック・シャルルが1787年に発見した気体の膨張についての「シャルルの法則」も8年前にキャベンディッシュのノートに書かれていました。
 ゲオルク・オームが1827年に発見した電圧と電流と抵抗の関係を示す「オームの法則」に至っては46年前に発見済みであったことが判明しました。
 それ以外にも水素やアルゴンも発見しており、いずれもノーベル賞に値する業績でしたが、公に発表することはなく、ノートに書き残すだけで満足していたのです。

 これはある意味では迷惑なことで、もし発表していれば、有能な学者が重複して研究をする必要はなく、別の研究に時間を費やすことが可能で、その研究態度を非難する人もいましたが、晩年の研究時間の大半をキャベンディッシュの実験記録の解明に費やした大学者マックスウェルは「キャベンディッシュにとっては研究そのものが重要であり、発表はどうでも良かった。普通の学者なら結果を発表して栄誉を獲得しようとするが、そのようなことにキャベンディッシュはまったく関心がなかった」と説明しています。
 したがって、その時代にノーベル賞が存在していたとしても、キャベンディッシュは1億円程度を貰うために人前に出るのは嫌だと、受賞しなかったと思います。
 現在は巨額の公的資金を投入する研究が大半なので、成果を社会に発表する義務があり、自分の財産だけで研究したキャベンディッシュのようなことは許されませんが、科学の真髄を象徴するような80年の人生を送ることのできた幸福な研究者でした。





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