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論文

 高齢社会が色々と話題になっています。
 今週月曜日(16日)に警察庁が高齢運転者の事故が増加していることへの対策を検討する有識者会議を開催しました。
 今年3月から改正道路交通法が施行され、75歳以上の運転者の認知機能検査が厳しくなるので、高齢者が運転する自動車事故の実態を調査した結果をまず報告した会議です。
 75歳以上の運転者が引き起こした死亡事故は2005年から毎年400件から450件で大きな変化はありません。
 しかし、昨年の自動車事故による死者が67年ぶりに4000人を切ったことからも分かるように、交通事故の死者総数が毎年減少しているので、75歳以上の運転者による死亡事故の比率は2005年の7.4%から2015年には12.8%に急増し、対策が必要と考えられているという背景があります。

 もう一つの話題が、新年早々(5日)、日本老年学会と日本老年医学会が高齢者の定義を変更しようと提言したことです。
 これまで医療保険などでは、65歳から74歳を「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と分けていました。
 しかし今回、65歳から74歳を「准高齢者」、75歳から89歳を「高齢者」、90歳以上を「超高齢者」としたらどうかという提言です。

 その背景にあるのは、日本の平均寿命が男性で80.79歳と世界4位、女性が87.05歳で世界2位になり、世界有数の高齢国家であることと、内閣府の国民意識調査で「何歳から高齢者と思うか」という項目で、もっとも多い回答は男性が70歳以上、女性が75歳以上と答えているという意識の変化を勘案した提言です。
 これは単に呼名が代わるだけのようですが、裏側には、現在の60歳や65歳という定年を10年ほど延長して、元気な高齢者には働いてもらい、その分、基金が逼迫している年金の支給開始年齢を遅らせるという思惑があるのではないかという憶測もあります。

 定年になってのんびり暮らしたいと考えておられる方には迷惑なことかもしれませんが、折角、寿命が伸びたのだから、残りの人生で、もう一仕事してやろうと考える方も居られるかも知れません。
 そのような方に参考となる人生を送った人物を御紹介したいと思います。

まずは有名な伊能忠敬(ただたか)です。
 現在の千葉県香取市佐原で醸造業や貸金業を営んでいた伊能家に17歳で婿入りした忠敬は伊能家を発展させますが、最初の妻が忠敬の38歳のときに死亡、後妻が50歳のときに死亡したことを契機に、家督を長男に譲って隠居して江戸に出て、幕府の天文学や暦学を研究する天文方(てんもんかた)の高橋至時(よしとき)に弟子入りします。
 50歳というと現在では若いと感じますが、当時の平均寿命は45歳位でしたから、大変な高齢で弟子入りしたことになります。
 その勉強の過程で、暦を正確に作成するためには地球の緯度1度の距離を正確に測ることが必要で、そのために江戸と蝦夷地(北海道)くらい離れた2点の距離を測る必要があることを知ります。
 そこで苦労して幕府から測量の許可を得て、寛政12(1800)年56歳のときに蝦夷地に向って測量を開始し、ついでに北海道の正確な地図を作ることに挑戦します。
 それは年内に終了したのですが、測量結果の正確さが評価され、さらに各地を測量することになり、以後、70歳になる文化12(1815)年まで全国各地の測量作業を10回も行います。
 海峡などを渡る時は舟ですが、それ以外はすべて徒歩ですから、日本全体を歩いて回ったことになり、いかに元気であったかが分かります。
 文化15(1818)年に74歳で亡くなりますが、その死は秘密にされ、3年後に日本地図が完成してから公表されました。

 東京都心には数多くの森ビルが建っていますが、この多数のビルを一代で築き上げたのが森泰吉郎(たいきちろう)さんです。
 森さんは明治37(1904)年に東京都港区の米屋に生まれますが、東京商科大学(一橋大学)を卒業後、いくつかの学校の教師をし、最後は横浜市立大学の商学部長をして定年前の55歳で退職します。
 その3年前に第一森ビルを建設していたのですが、退職後は不動産事業に専念して次々とオフィスビルを建設し、バブル経済の時期に不動産の価値が高騰した結果、経済誌「フォーブス」の長者番付で資産総額が世界1位になるほどの発展をしました。
 1993年に89歳で亡くなられる最後の10年ほど、何度もお目にかかっていますが、学者出身らしく物静かで、とても世界有数の金持とは見えない方でした。

 もちろん外国にも晩年から大事業を成し遂げた人物は多数います。
 有名なのは「ケンタッキー・フライド・チキン」の世界規模のチェーン店を作ったカーネル・サンダースです。
 14歳で学校を中途退学し、それ以後、陸軍兵士、機関車修理工、保険外交員、タイヤ販売員など、40以上の職業を転々とし、1930年40歳のときにケンタッキー州でガソリンスタンドを開設し、その一部に、わずか6席しかないレストラン「サンダース・カフェ」を併設します。
 そこの目玉料理がフライドチキンでしたが、1952年の62歳のときに、現在の「ケンタッキー・フライド・チキン」の元となるフランチャイズ事業を始めたのです。
 74歳のときに経営の一線から引退しますが、現在、世界に2万店ほどあるチェーン店の基礎は62歳のときに築き、引退するまで12年間で世界有数のレストランチャーンに育てたことになります。

 ほんの100年前から現在までに、日本人の平均寿命は40歳近く伸びていますし、戦後だけでも30歳は伸びています。
 高齢者や準高齢者などという呼名など気にせず、このような成功者を参考に、延長された人生を有意義に活用する意識が重要だと思います。





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