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論文

 来年2018年は明治維新から150年目になります。
 これは慶応4年3月14日(新暦では1868年4月6日)に明治天皇が京都御所の紫宸殿で、新政府の方針として「(五箇条の)御誓文(ごかじょうのごせいもん)」を示されたことを根拠にしています。
 しかし、前年の慶応3年10月21日に江戸幕府最後の将軍徳川慶喜(よしのぶ)が明治天皇に大政奉還を奏上した時を明治維新とすれば、現在の暦では1867年11月9日ですから、今年が150年目にもなります。
 それを契機に今年から来年にかけて明治政府の実現に功績のあった薩摩(鹿児島県)や長州(山口県)では明治維新150年の行事が始まっていますし、昨年10月7日には菅官房長官が2018年を「日本にとって大きな節目である」として、政府としても記念行事を検討すると発表しています。

 最近、明治維新の意義を疑問とする書籍も発表されていますが、日本が近代国家として世界有数の大国になったのは明治政府の政策であったことは確実です。
 しかし、明治政府が維新以後の日本を際立たせるために、意図して江戸時代は鎖国をしていた暗い社会として教育してきたことの問題も指摘されています。
 それを指摘して評価された書籍が、渡辺京二さんが1998年に出版された『逝きし世の面影』です。
 これは江戸末期から明治初期に来日した外国人の手記、日記、手紙などを調べ、江戸時代の日本が高く評価されていたことを証明した名著です。
 一昨年、熊本に居られる渡辺さんをお訪ねしたことがありますが、「あの本の最大の意義は、それまで遅れた暗い社会とされていた江戸時代を世界でも進んだ社会であったと証明したことだ」と言っておられました。
 また最近、話題になっているのは、原田伊織さんが昨年暮に出版された『三流の維新/一流の江戸』という書物で、江戸時代の社会制度が当時の世界でいかに優れていたかを書かれた内容です。

 そこで明治150年の意味を考えるために、鎖国していた江戸時代の日本が世界でも進んだ社会であったことを何回かに分けて御紹介したいと思いますが、今回は科学技術です。
 大変に精密な日本地図を作成した伊能忠敬については2週間前に御紹介しましたので省略しますが、一つだけ逸話を紹介したいと思います。
 嘉永6(1853)年にペリー艦隊が浦賀に来航し、幕府に開国を迫りますが、もう一つの目的は日本列島を正確に測量することでした。
 浦賀に到着すると密かに江戸湾の測量を開始しますが、その結果を、あらかじめ入手していた伊能忠敬の地図と比較するときわめて正確であったので、日本の技術力が驚くほど高度なことを知り、測量を中止すると同時に、簡単には戦争を始められないと考えて引き上げたと言われています。

 そのような日本が世界に先駆けた科学の成果はいくつもあります。
 まず有吉佐和子さんの小説『華岡青洲の妻』でも有名になった、紀州の外科医華岡青洲です。
 京都でオランダの医学を勉強し、地元に戻って開業しますが、麻酔薬のない時代でしたから、手術で患者が苦しむのを何とか解決したいと考えて麻酔薬の研究をします。
 その結果、チョウセンアサガオやトリカブトに効果があることを発見し、動物実験で確認しますが、人間で実験することが出来ず困っていました。
 そこで母と妻が実験台になることを志願してくれますが、悲惨なことに母は死亡し、妻は失明してしまいます。しかし、その犠牲の上に享和4(1804)年「通仙散」という麻酔薬を完成させます。
 外国で麻酔薬を発明したのはアメリカの医師ウイリアム・モートンです。
 彼も大変な苦労をします。最初の公開手術では効果が十分ではなく、患者が鳴きわめくという大失敗になりましたが、さらに自分の歯を抜いて実験するなどし、再び公開手術をして今度は成功します。
 これは1846年のことでしたから、華岡青洲は40年以上先んじていたことが分かります。

 実学ではなく、理論でも日本が先駆けた例があります。
 寛永19(1642)年生まれとされる数学者の関孝和(せきこうわ)は和算という日本独自の数学の専門家でしたが、暦を作成するために正確な円周率が必要となり、延宝9(1681)年に少数点11桁まで正確に計算します。
 この計算に利用した方法は現在の言葉では「エイトケンのデルタ二乗加速法」といわれますが、西洋で発明されたのは1876年とされていますから、これは195年も早いという快挙でした。
 また数論の分野で使用される「ベルヌーイ数」という数列があります。
 これはスイス生まれの数学者ヤコブ・ベルヌーイが1713年に発表したので、この名前が付いていますが、それよりも先に関孝和が発見しています。
 関孝和はベルヌーイが発表する5年前の宝永5(1708)年に亡くなっていますから、当然、ベルヌーイの発明は知らず、独立で発明したことになります。

 これ以外にも江戸時代に日本人が発明した科学や技術はいくつもあります。
 当時は鎖国をしていたと言っても、慶長18(1613)年に幕府が禁教令を出すまではキリスト教の宣教師が入って来ていましたし、それ以後もオランダとは交易をしていましたから、西洋の科学や技術の情報は入ってきていましたが、それらとは独立で発明した優秀な人材が多数居たことを証明しています。

 その背景は江戸時代の教育水準が世界の中で圧倒的に高度であったことです。
 識字率がそれを示しています。当時のパリの識字率は10%、ロンドンは20%でしたが、江戸は70%であったと推定されています。
 一般庶民が読み書きができたのです。
 江戸時代のベストセラーは元和9(1627)年に出版された『塵劫記(じんこうき)』という数学の本で、明治時代まで人気がありました。
 これは算数の初歩的な知識から始まって日常生活で必要な計算のほとんどを学べる内容でした。
 そもそも、そのような本を一般の人々が読めるだけでも当時の世界では突出したことでしたが、理解できたということも驚くべきことでした。
 明治維新150年は、その土台であった江戸時代を見直すとともに、これからの教育の在り方を考える機会にすべきだと思います。





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