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論文

 最近、国際政治の分野で話題になっている「ツキジデスの罠」について御紹介したいと思います。
 ツキジデスはおよそ2400年前の紀元前5世紀後半から紀元前4世紀初頭まで活躍したギリシャのアテナイの歴史家ですが、自身も将軍として参加したペロポネソス戦争の経緯を詳細に記録した『ペロポネソス戦史』を残したことで有名な古代ギリシャの歴史家です。
 ペロポネソス戦争というのは紀元前5世紀のエーゲ海の周辺で発生した二大勢力間の戦争です。
 当時の地域で勢力を誇っていたスパルタを中心とするペロポネソス同盟に対し、アテナイを中心とするデロス同盟が新興勢力として登場し、ついに紀元前431年にスパルタの王が率いるペロポネソス同盟軍がデロス同盟に参加しているアッティカを攻撃しはじめます。
 受けて立ったアテナイは優勢でしたが、10年後に両軍の将軍が戦死したため、一旦、和平が成立します。
 ところが、それから6年後の紀元前415年に、今度はアテナイから攻撃を再開します。
 アテナイは何度か海戦で勝利しますが、ペロポネソス同盟軍はアテナイの食料供給路を断ったため、ついに紀元前404年にアテナイが降伏して、28年間に及ぶ戦争が終結しました。

 この戦争に将軍として参加した経験のあるツキジデスは「アテナイの興隆と、それを懸念したスパルタという関係が戦争を避けられない状態にした」と書いていますが、このように、ある地域を支配している既存勢力に対し、新勢力が台頭してくると、その新勢力は既存勢力に挑戦するようになり、必然的に対立するようになるという状態を、アメリカの政治学者グレアム・アリソンが、この故事を引用して「ツキジデスの罠」と名付けたのです。

 最近、この言葉が注目されているのには2つの理由があります。
 第一は2015年9月に習近平国家主席がアメリカを訪問したとき、最初に西海岸のシアトルに到着し、ボーイングの旅客機を300機、金額にして5兆円近くを購入すると発表しましたが、そのとき「いわゆるツキジデスの罠は世界に存在しない。しかし、大国が戦略的な失敗をすることにより、自身で罠にはまるのだ」と言ったと伝えられています。
 さらにワシントンでオバマ大統領と会談したとき「サイバーセキュリティ問題」「南シナ海問題」「人権問題」など厳しい話題になり、そのときにオバマ大統領が習近平国家主席を牽制する意味で「ツキジデスの罠」に言及したともいわれています。

 第二は、ハーバード大学のベルファーセンターという研究所が、15世紀以後の世界の歴史の中で、ツキジデスの罠に相当する状況になった16の事例を対象として、どのような結果になったかを研究した成果を発表し、さらに今月末に研究所長のグレアム・アリソンが「宿命の戦争:アメリカと中国はツキジデスの罠から逃れられるか?」という書籍として発売するということになり、注目されるようになったのです。

 16の事例のうち、12は「ツキジデスの罠」に嵌って戦争になっていますが、4例は戦争を回避しています。
 戦争になった例としては、15世紀のフランス王国と新興勢力の神聖ローマ帝国とのイタリア戦争、16世紀から17世紀にかけての神聖ローマ帝国と新興勢力のオスマン帝国の戦争、19世紀中頃のフランス・イギリス・オスマン帝国と新興国ロシア帝国のクリミア戦争、19世紀末から20世紀始めにかけての新興勢力であった日本が清国とロシア帝国を破った日清戦争と日露戦争、その日本がアメリカに破れた太平洋戦争などがあります。

 しかし、注目すべきは戦争を回避した4例です。
 第一は15世紀初頭から大航海時代の先頭に立ったポルトガルと、それを追いかけたスペインとの対立です。
 ポルトガルはアフリカ最南端の喜望峰の発見から、さらにインド航路の開拓で先行しますが、スペインはコロンブスの新大陸発見やマゼランの世界一周航海を支援して対抗し、各地で領土争いが発生します。
 それを解決したのは1494年にローマ教皇の仲介によって成立した「トリデシリャス条約」でした。
 これは現在の経度でいえば西経46度付近の大西洋の中央を通る子午線で地球を2分し、それより東側で発見した陸地はポルトガル領、西側はスペイン領とすることで和解しました。

 二国だけで勝手に世界を二分したというのはとんでもないことですが、それを再現しそうなのが中国です。
 中国は2007年頃からアメリカに太平洋の中央に線を引いて、東側をアメリカの制海権、西側を中国の制海権とするという提案をし、2013年の習近平とオバマの会談でも持出したと言われていますが、このトリデシリャス条約を参考にしていると思われます。

 もう一例を紹介したいと思います。
 第二次世界大戦後から1991年のソビエト連邦崩壊まで続いた米ソの冷戦です。
 戦後、米ソ間には朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争など世界大戦に発展しかねない紛争が何度も発生していますし、1957年にソビエトが最初の人工衛星スプートニクを打上げたときは、アメリカはパニックになるほどの危機感を抱きました。
 それでも何とか冷戦のままで1991年のソビエト連邦の崩壊まで核戦争に発展しなかったのは、これまでの戦争に発展した事例では領土が国境を接していた場合が大半であったのに対し、米ソは大きく離れていたこと、また核戦争になれば、両国だけではなく世界全体が壊滅しかねない大惨事になること、そしてそれを防ぐために両国がSALT(戦略核兵器制限交渉)やSTART(戦略核兵器削減交渉)を進めながら、手の内を確かめあってきたことと説明されています。

 それ以外の戦争を回避した2例は20世紀初頭にアメリカが経済力でも軍事力でも急速に台頭してきたときの旧大国イギリスとの関係、現在、EUを巡ってぎくしゃくしているイギリス、フランス、ドイツの関係が挙げられています。
 現在、ヨーロッパではクリミア半島を巡るG7の国々とロシアの関係、アフリカでは数多くの内戦、アジアでは韓国と北朝鮮、日本と中国、日本と韓国など微妙な関係が溢れています。
 ドイツ帝国の首相ビスマルクの「賢者は歴史に学ぶ」の言葉を想い出し、日本の為政者も戦争を回避できた事例を研究してほしいと思います。





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