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論文

 今週の月曜日(5日)に東京で開かれた「アジアの未来」という国際会議で、安倍首相が「中国の提唱している「一帯一路」構想には多様な地域を結びつけるポテンシャルがある」と発言し、いくつかの条件を前提に、日本も協力する意向を表明しました。
 その背景にあるのは、先月14日と15日の2日間、北京で開かれた「一帯一路国際協力サミットフォーラム」です。
 中国にとっては今年最大の国際行事でしたが、日本とアメリカは積極的ではなく、日本は自由民主党の二階俊博幹事長を団長とする代表団、アメリカは国家安全保障会議アジア上級部長が率いる代表団を派遣した程度でした。
 ところがフォーラムには約130の国や地域が参加し、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領など29の国の国家元首も出席する盛大な会議になったため、やや方針を変更した発言になったのだと思います。

 この一帯一路という構想は2014年に習近平国家主席が発表した経済圏構想です。
 一帯は「シルクロード経済ベルト」とも言われ、中世にヨーロッパとアジアを結んでいた交易路シルクロードの現代版を構築しようという構想です。
 当時は、せいぜいラクダしか移動手段はありませんでしたが、今回は自動車道路と鉄道です。
 一路は「海のシルクロード」とも言われ、15世紀後半にポルトガルやスペインが開拓したヨーロッパとアジアを結ぶ航路を現代に復活させようという構想です。
 この構想の背景にあるのは、習近平国家主席が国民に向けて訴えた「何代もの中国人民の宿願が凝縮された中華民族の偉大な復興を目指す」という考えで、中華人民共和国の建国100周年の2049年を目指して実現しようという「100年マラソン」の一環と考えられます。

 この偉大な復興には、いくつかの目的がありますが、私個人の考えでは、歴史上、世界最大の版図を誇っていた「モンゴル帝国」の再現と、世界の海洋を自由に往来していた「明」の再現ではないかと思います。
 モンゴル帝国の版図が最大になったのは第5代皇帝のクビライの支配していた1279年頃ですが、東はオホーツク海に面する海岸から、西は東ヨーロッパまで、地球の陸地の4分の1を支配していました。
 この領土を現在の一帯計画が対象とする圏域と重ね合わせると、ほぼ一致します。

 「明」は、まだモンゴル帝国が存在していた14世紀中頃に建国されていますが、大国に発展したのは15世紀初頭に即位した第3代皇帝永楽帝の時です。
 版図はモンゴル帝国ほどではありませんでしたが、特徴は海へ進出したことです。
 中国は一般に大陸国家とされていますが、この永楽帝が推進したのが海洋進出で、中国の歴史の中では例外的に海洋国家として発展した時代です。
 その実際を遂行したのが鄭和(ていわ)という武将です。
 鄭和は1371年に現在の雲南省に生まれたイスラム教徒であったという説もありますが、明の初代皇帝の朱元璋(しゅげんしょう)の時代に地域が征服され、永楽帝の部下となります。
 1402年に皇帝に就任した永楽帝は1404年に民間人が大型船を建造することと外国と貿易をすることを禁止する一方、国家として大船団を編成して世界に使節を派遣することにし、その総指揮官に鄭和を任命します。
 編成された船団は「宝船(ほうせん)艦隊」 と言われ、最大の船は長さ137m、幅56m、8000トン、9本マストの木造船と伝えられています。
 25年間に7回の遠征が行われますが、最初の遠征は62隻の艦隊で、乗組員の合計が2万7800人だったと言われます。
 これがどのくらい巨大かというと、約90年後の1492年にコロンブスが大西洋横断航海を行いますが、その時は250トン程度の船3隻と乗組員88人ですし、1498年にヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸南端を回ってインドに到達しますが、その時は120トン程度の船3隻と乗組員170人ですから、いかに宝船艦隊が巨大であったかがわかります。

 これは中国の白髪三千丈の類かと思われていましたが、1957年に南京の河口で造船所の遺跡が発掘され、本当だと分かりました。
 7回に及ぶ宝船艦隊が到達した場所も、現代の地名で表すと、インドネシアのジャワ島、マラッカ海峡、アラビア半島、アフリカ大陸東海岸などであり、7回とも鄭和が総指揮をとりました。
 かつてアフリカまで到達したかは疑問とされていましたが、2013年にケニアのマンダ島で、永楽帝が発行した「永楽通宝」が発見され、やはり到達していたことが明らかになりました。
 その航路を地図に落としてみると、習近平国家主席が構築しようとしている海のシルクロード構想に重なっており、13世紀から15世紀の中国の栄光の時代を復活させようという構想であることが推定できます。
 この宝船艦隊については2002年に「トンデモ本」が出版されました。
 イギリスの海軍に勤務し退役したギャバン・メンジーズが出版した『1421:中国が新大陸を発見した年』という本です。
 これによると第6次の鄭和艦隊の一部はアフリカ大陸の南端を回って大西洋を横断し、1421年には北米大陸に到達し、さらに北極海を通過して太平洋に出て中国に戻ってきた、すなわち世界一周をしたという内容です。
 したがってコロンブスより70年以上前に中国人が北米大陸を発見していたことになりますし、マゼラン艦隊の世界一周航海よりも100年近く前に世界一周をしていたことになります。
 発売当初は話題になって売れましたが、現在では偽史、偽の歴史に分類されているようです。

 しかし、一路計画は世界一周も視野に入れており、今年1月には紅海の入口にあるジブチから内陸のエチオピアの首都アディスアベバまで750kmの鉄道を完成させ、いずれはアフリカ大陸を横断して西海岸のセネガルの首都ダカールまで到達するアフリカ横断鉄道も構想しています。
 さらに、このアフリカ西海岸から大西洋を渡ったアメリカ大陸を横断するために、2年前から中米のニカラグアを横断する全長290kmにもなるニカラグア運河の建設にも着手しています。
 鉄道も運河も建設資金や工事の大半は中国が提供しています。

 これまで日本もODAによって世界各国の社会基盤建設に資金を提供してきましたが、このような壮大な構想の一環としてではなく、各国から要請のあった個別の事業に対応してきただけであり、中国の用意周到さが伺えます。
 安倍総理の地球儀を俯瞰する外交にも、このような長期戦略の立案が必要ではないかと思います。





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