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論文

 山形の庄内地方にある羽黒神社は出羽修験の三山の一社であるが、その境内からは庄内平野を一望のもとに見下ろすことができる。丁度今頃の時期には平野全体に展開する水田が満々と湛水し、一面が銀色の水面のような光景となる。それは日本の伝統ある農業社会を象徴する景観であり、自然に心安まる気持ちになる。

 ところが戦後一貫して、このような光景が急速に減少してきた。一九六○年には日本の水田面積は三五○万ヘクタールであったが、最近では二七○万ヘクタールにまで減少している。しかも約七○万ヘクタールは減反政策の指示によって休耕しているから、実際に稲作をしている面積は二○○万ヘクタールでしかなく、コメの作付面積は四○年間で四割以上も減少してしまったことになる。

 それは農業政策の無策も影響しているが、最大の要因は国民がコメを消費しなくなったことである。一九六○年には日本人一人当たりで年間約一二六キログラムを消費していたが、現在では六八キログラムと半分程度にまでなってしまった。国民の嗜好の変化が原因であるが、その変化は、戦後、アメリカが自国の余剰小麦を処分するために、米食は頭脳を硬直させるとか、ガンになるという宣伝をしたことが影響している。

 日本は食糧自給比率が四○パーセント、穀物自給比率は二九%という異常な状態にあるが、唯一、コメだけは現在のところ完全に自給している。コメの輸入関税を撤廃する議論が世界貿易機構で進行しており、この自給状態も安泰ではないが、そうであれば一層、食糧安全保障の視点からコメの生産を維持する必要がある。しかし、より重要な意義は水田による稲作は世界でも類例のない素晴らしい食糧生産方式ということである。

 第一にコメには面積あたりの生産能力が高率という利点がある。『新約聖書』に記載されているように、一粒の小麦は地面に落下することによって増加するが、それは四○○粒から五○○粒に増加する程度である。その一方、一粒のコメは水面に落下すれば半年で千粒になる。その結果、世界平均で小麦の生産はヘクタールにつき約二・七トンであるが、コメは約三・九トンにもなる。

 第二はさらに重要な利点であるが、水田による稲作は数千年間も連作ができる唯一の生産方式ということである。小麦などの畑作は連作をすると三年程度で土地が疲弊するために、古来から三圃制度などの輪作が考案されてきた。しかし、稲作は耕地を水面で被覆するため、地中の不要な細菌が繁殖しないし、ときどき排水するために地中に蓄積した有害物質が排除され、土地が疲弊せず、延々と連続して耕作ができる。

 世界の人口は依然として増加しており、現状で推移していけば五○年後には九○億人を突破すると予測されている。その一方で、耕作のための土地の開発は限界に接近しているし、それ以上に深刻な問題は農業用水の限界である。それらが重複すれば、二一世紀の世界は食料不足になることは確実である。その一部は科学技術で改善されるにしても十分ではなく、稲作という古来からの農業を見直すことが重要である。

 今年は国際連合が設定した国際コメ年間(インターナショナル・イヤー・オブ・ライス)である。減少したとはいえ日本の耕地面積の六○パーセントは水田であり、穀物生産の九○パーセントはコメである。これを契機に、自国の食糧安全保障とともに、世界の食糧危機へ貢献するという意味で、日本は稲作政策を真剣に見直す時期にある。





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