TOPページへ論文ページへ
論文

 熊本空港から阿蘇のカルデラの丘陵地帯を東方へ横断し、外輪山下に掘削されたトンネルを通過すると、やがて宮崎の西臼杵郡に到達する。この一帯は、天照大神の命令で天上界高天原から天孫が高千穂峰に降臨したという神話に由来する日本発祥の土地であり、さらに神々の子孫である神武天皇がここから東征に出発して大和に遷都し、大和朝廷を創設したという伝説の土地でもある。

 それを証明するかのように、この地域の中心である高千穂町には、天照大神が岩戸に隠遁して世界が暗闇になったとき、神々が集合して会議をしたといわれる天安河原という巨大な岩盤があるし、天照大神を祭神とする天岩戸神社、三毛入野命とその妃鵜目姫命を祭神とする高千穂神社などの由緒ある史跡、そして、そこで奉納される国無形文化財に指定されている神楽などの伝統が色濃く存続している地域である。

 そのような古代の歴史を想像させる自然環境が高千穂峡である。九州の背骨となる九州山地の山々の南東斜面を源流とする五ヶ瀬川は幹川部分の延長が約一○六キロメートルの一級河川で、九州でも有数の大河である。この河川が五ヶ瀬町の上流部分で古生代層の山地を浸食して渓谷を出現させていたが、その谷間に阿蘇の噴火による溶岩が流入し、それを再度、五ヶ瀬川が浸食して形成されたのが高千穂峡である。

 川幅が十数メートル程度しかない河川の両側は水面から上端まで一○○メートルにもなる断崖が約七キロメートルも連続し、底知れぬ碧色の水面は神々の存在を実感させるような景色である。しかし残念ながら、ここも当然のごとく団体観光旅行の経路の一部となっており、休日ともなれば断崖の上部に用意された道路を中断することなく人々が遊歩しているし、その碧色の水面には多数のボートが往来しており、神々しさは相当に割引かれている。

 それでも、高千穂町には石器時代の遺跡や古墳も存在しているし、現在でも街中には茅葺の屋根の上部に千木のある民家が残存している。また南側に位置する椎葉には、一二世紀に瀬戸内海で源氏に敗北して壊滅した平家の落人が逃避してきた集落が散在し、この地域は神代から中世までの様々な時代の日本を凝縮したような地域であり、鉄道が開通し、道路が整備された現代でも、神秘な気配のある環境である。

 昨年十一月初めに、五ヶ瀬川流域で開催された情報通信関係のシンポジウムに出席した帰路、高千穂町在住の友人の案内で、五ヶ瀬川の上流部分をカヌーで下降することができた。出発地点は高千穂峡から約二キロメートル下流であるが、その一帯も両側は高千穂峡から連続している断崖絶壁であり、友人が発見しておいてくれた崖沿いの細道を通過して、なんとか川面までカヌーを運搬することができた。

 このような山間の河川は降雨の状態によって様相は一変し、大雨の直後には激流となって川下りは危険であるし、しばらく降雨がないと水量が不足して所々カヌーを運搬しなければならない破目になるが、今回は幸運にも数日以前の豪雨の名残で適度な水量になっており、また水質も透明さを回復しつつある状態で、九州でも有数の清流といわれる五ヶ瀬川を堪能することができた。

 水面から眺望できる両側の荒々しい岩場、上部の切立った絶壁、そして紅葉の季節であるための華麗な色彩という絶景は得難いものである。途中には巨石が川中に折重なって直線の水路が見出せない荒瀬が何度も登場し、場所によっては岸伝いにカヌーを運搬したりして通過するのに苦労するが、その苦労の甲斐は十分にある河川である。しかし、残念ながら、この五ヶ瀬川でもカヌーをする人々は例外というほど少数である。

 河川は自然の循環の基礎となる環境である。それを明示する事例は全国各地で拡大している漁民による植林活動である。一見、森林と漁業とは関係なさそうであるが、樹木のミネラルなどの成分が河川を経由して海洋の栄養になることが解明されるにつれて、流入してくる河川の水質を向上させるための植林が活発になった。同様に河川から流入する砂利が砂浜を維持していることも理解され、ダムの見直しの一因になっている。

 このような河川と森林と海洋の相互依存関係を理解するためにカヌーは格好の手段である。川岸から何気なく河川を観察しているだけでは理解できないことが、川面からは容易に直感できる。現在、日本のカヌー人口は増加しつつあるとはいえ様々なスポーツのなかでは微々たる人数である。カヌーをスポーツとしてだけではなく、自然を理解する手段として普及していくことも環境の世紀には重要である。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.