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論文

 前回も紹介した全国の河川の水質調査で毎年のように一位に位置するのが、後志地方の羊蹄山麓を蛇行する一級河川の尻別川である。尻別という当字の語源はアイヌの言葉で山・川を意味するシリ・ペツであるが、その名前のように、支笏湖畔にある標高一○四八メートルのフレ岳を源流として、羊蹄山麓を半周以上迂回し、日本海側に流出する全長一二六キロメートルの河川であり、その流域の大半の場所から秀峰羊蹄が遠望できる。

 蝦夷富士とも命名されるコニーデ型活火山の典型である標高一八九三メートルの羊蹄山は、すでに一九世紀初頭に出版された谷文晁著『日本名山図会』の最初に蝦夷の名山として紹介されているが、それよりはるか以前の六九五年の阿倍比羅夫蝦夷地遠征を記述している『日本書紀』にも「後方羊蹄」という地名が登場している。これに対比して、その南東に位置する、やや小型の同型のコニーデ型活火山の尻別岳は「前方羊蹄」といわれる。

 この一帯は年間の累積で一○メートルにもなる豪雪地帯で、江戸末期の探検家松浦武四郎の『後方羊蹄日誌』にも、酷寒と豪雪の様子が生々しく記述されている。しかし、この豪雪は羊蹄山上に堆積し、数十年間をかけて地中で濾過され周辺の一帯に自噴し、日本名水百選にも選定されている羊蹄の噴出しといわれる大量の湧水をもたらすとともに、雪解け時期には尻別川を激流に変化させている。

 この羊蹄山麓には毎年数回出掛けているが、いつもシーカヤックをするために積丹半島に移動してしまうため、尻別川でカヌーをする機会がなかったが、この晩秋、テレビジョン番組の撮影でリバーカヤックをすることができた。下流の渓谷は紅葉の盛期であり、両側も前方も見渡すかぎり黄色や赤色の光景はカヌー以上の贅沢であった。上流は雪解けの時期には激流となるが、この時期は渇水のため無事通過することができた。

 この日本最高の清流にも問題がないわけではない。第一が開発にともなう河川の改修である。すべての自然河川がそうであるように、尻別川も羊蹄山麓の平原を複雑に蛇行していたが、農業振興のために二○世紀初期から河川改修が本格開始され、さらに一九七五年と一九八一年の洪水のために、河川を直線にし、川幅を一定にする工事が繰返され、かなりの部分が護岸のある単調な景観に変化している。

 それは生産や生活の視点からは必要なことであったが、一方で自然の生態に問題を発生させている。その象徴がイトウの絶滅の危惧である。釣好きであった小説家開高健が「幻の魚」と命名して一躍有名になったイトウは、かつては道内のほとんどの河川に多数生息しており、道東では最大で二・一五メートルという記録のあるサケ科の魚類であるが、河川の改修とともに生息場所が減少し、現在では絶滅危惧IBに指定されるほどになった。

 アイヌの言葉でオビラメといわれるイトウを復活させようと、地域の有志が「尻別川の未来を考えるオビラメの会」を結成して、一九九六年から活動しているが、一旦減少の方向に傾斜した自然を復活させることは容易ではない。最近では河川を管理している北海道建設部もコンクリート護岸を廃止して、一部の区間で多自然型といわれる工法で改修しているが、まだ顕著な成果にまでは到達していない。

 もうひとつの課題がラフティングである。ゴムボートで急流を下降するラフティングは川遊びとして豪快かつ爽快なものであるし、経験のあるガイドが同伴すれば、素人でもそれほどの危険なく体験できるということで、全国各地の河川で流行の傾向にある。この尻別川でも八年程前から開始され、冬季のスキーとともに地域を代表する夏季のレクリエーションに成長してきた。

 ここでラフティングを開始したのはオーストラリアから日本に移住してきたロス・フィンドレーさんである。当初は年間一万人程の人々を相手にするアウトドア・スポーツとして計画されたが、期待以上の人気があり、最近では年間一○万人にもなる人々が参加する巨大なビジネスになってきた。その結果、現在では六社が参入して過当競争となり、その影響で環境問題や事故の危険も危惧されるようになってきた。

 知床半島が世界自然遺産に登録される予定となり、その利用制度が検討されている。シーカヤックをはじめとして海岸への上陸を規制する意見もある。もちろん貴重な自然を保護するためには必要な方策かもしれないが、人々が本物の自然を謙虚に体験する機会を禁止することが、自然を保護していくことにとって適切かどうかには異論もある。その意味でラフティングが自然を畏敬しながら体験する健全な手段になることが期待される。





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