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論文

 日本にも長江に匹敵する大河があると中国の知人が感嘆した。そんなはずはないと反論したところ、瀬戸内海のことであった。河口付近では川幅が八○キロメートル以上もある長江に比較して、瀬戸内海は最長でも対岸まで六○キロメートル程度であるから、大国の人間からすれば大河と錯覚しかねないが、有名な鳴門海峡、来島海峡、大島瀬戸などでは潮流が一○ノット(時速一八キロメートル程度)以上になることもあり、十分に河川の資格のある内海である。

 この瀬戸内海には、北方四島も対象にして日本で第七番目の面積の淡路島を筆頭に、大小無数の島々がある。海図で調査した報告によると、周囲一○○メートル以上の規模のものが七三○弱、そのうち海図に名前が記載されているものが六八○強であり、日本の離島の一割が瀬戸内海に存在している計算になる。これらのうち大半は無人の島々であるが、一○○余には現在でも人々が生活している。

 内海ということもあり、瀬戸内海の島々には古代から人間が定住してきたため、それぞれに豊富な歴史が記録されている。とりわけ戦国時代には能島、来島、因島を拠点にした三島村上水軍が瀬戸内海の西側を支配しており、現在でも広島と愛媛の県域にある三○○近い島々に村上水軍に関係する遺跡や伝説が保存されている。現在、この地域で造船や漁業に従事している人々の多数が村上水軍の末裔であるともいわれている。

 東側の岡山と香川に帰属する島々も、長年、日本の中心であった関西地域と近接していることもあって、由来のある島々が多数ある。代表は映画の舞台として有名になった小豆島である。この名前は日本最古の歴史書『古事記』や『日本書紀』にも記載されているほど歴史があるが、頻繁に名前が登場するようになったのは鎌倉中期以後であり、とりわけ豊臣秀吉の大阪城築城時の石材を産出したことでも有名である。

 このような理由で、瀬戸内海をカヌーで航行する興味は多様な自然だけではなく豊富な歴史にある。ここ数年、高松在住の二人のカヌーの友達と瀬戸内海を巡回している。一人は役所勤務の合間に三年かけてカヌーで四国を一周したという達人であり、もう一人は毎年、奄美大島のカヌーマラソンに出場しているという強者である。そして、もう一人の友人が坂出にマリーナを経営しているという幸運で、よく使用させてもらう。

 その松浦マリーナは坂出港の東端にあり、ここから出発して岸沿いに北上すると約二キロメートルで名勝として有名な五色台の足元にある及生岬に到達し、前方に富士山型の二島が遠望できるようになる。香川県側から手前が小槌島、遠方が大槌島である。この二島の誕生には伝説がある。対岸の岡山県側に日比という地域があり、そこの鍛冶職人が仕事に嫌気がさして大槌と小槌を海上に投棄したところ、それぞれ両島になったというわけである。

 この由来からすれば両島とも岡山の領土となるが、大槌島は両県の丁度中間に位置するうえに周囲が絶好の漁場であるため、一八世紀以来、備前と讃岐の境界戦争の渦中にあった。そこで備前の知恵者菅野彦九郎が樽流しによって決着しようと考案し、実験したところ備前に有利であったが、本番では潮流が反対になり、思惑と相違して讃岐の領土になる決着になってしまったという歴史がある。ちなみに現在は中央が境界になっている。

 もうひとつ伝説で有名なのが鬼ケ島と通称される女木島である。高松港の沖合い約四キロメートルに位置し、東西に約一キロメートル、南北に約四キロメートルという細長い形状をしている。源平合戦の最後の戦場である壇ノ浦古戦場で名高い屋島の西側の砂浜からカヌーで出発し、小一時間で到着する。この島内中央には奥行き四五○メートル、面積四○○○m2という巨大な人工の洞窟がある。ここが桃太郎の鬼退治の場所だとされ、鬼ケ島の名前の由来になっている。

 ここが鬼ケ島だと地元の人々が主張する根拠がある。高松市内に鬼無(キナシ)という場所があり、その周辺には赤子谷、洗濯場、勝賀山など、桃太郎の生誕から凱旋までに関係する地名がいくつかあり、当然のように桃太郎とサル、イヌ、キジを祭祀する桃太郎神社もある。ここ出身の武人が女木島を拠点にしていた瀬戸内海の海賊を征伐したという故事が伝説に変容したものであろうが、観光の目玉になっている。

 たいていの海峡がそうであるように、瀬戸内海も潮流は相当の速度であるし、干満によって方向が変化する。また三本の本四架橋が完成したといえども、この内海には重要な航路が密集しており、大型船舶の通行は頻繁である。そういう意味で手漕ぎの船舶の通行には十分な注意が必要であるが、夕映えにシルエットとなる島々を遠望しながら洋上を巡航していくのは、カヌーならではの得難い経験である。





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