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論文

 日本は島国である。それは一般には主要な国土が四島から構成されているという意味であるが、もうひとつ多数の島が存在しているということでもある。島について確定した定義はないが、海上保安庁では、最高潮位のときに海岸線の延長が一○○m以上あるものと定義し、一九八八年に二万五千分の一の地図で数えたところ、六八五二が日本の領海に存在しているとしている。これが普通には日本の島の数である。

 それらの九五%近くは無人島であり、人間が定住している有人島は約四○○で、その面積を合計すると七七六○平方kmである。人口七万二○○○人で最大の佐渡島からはじまり、住人が一桁という島もいくつかあり、合計すると八○万人強が島の生活者である。したがって、日本の面積の二%に相当する島に、人口の○・六%が生活しているというのが日本の島の実情である。

 このような数字を列挙すると、島の存在はそれほど重要ではないようであるが、島は日本にとってきわめて重要な役割がある。最大の価値は領海や経済水域を確保していることであり、日本の経済水域は陸地面積の約一二倍の四五○万平方kmであるが、その半分以上は島の存在によってもたらされている。それ以外に漁業の基地としての役割もあるし、観光の目玉としての役割も重要である。

 前置きが長くなったが、今回は北海道の離島へのカヌーツアーを紹介したい。北海道は島の数の少ない地域であり、北方四島を含めて島の数は五○九と日本全体の七%程度であり、有人島となると、北方四島は別として、津波の被害で有名になった奥尻島、秀峰利尻富士で人気のある利尻島など六島しかない。そのうちの二つである焼尻島と天売島をカヌーで訪問したというのが今回の報告である。

 留萌から稚内へ日本海沿いの国道二三二号線を北上していくと、風力発電の風車で有名になった苫前あたりから、左手の洋上に島影が遠望できるようになる。これが焼尻島と天売島である。直近の羽幌から焼尻島まで直線で二五km、天売島まで二八kmの距離にある。羽幌の中心にある洒落た宿泊施設「サンセットプラザはぼろ」の横を流れている福寿川から午前五時に出発し朝靄の彼方に見渡せる二島に向けて出発した。

 海峡を横断するカヌーツアーの注意すべきことは潮流と風向である。カヌーを長時間漕ぐときの速度はせいぜい時速六km程度であるが、潮流は場所によってはそれ以上になり、逆向きになればほとんど進めないし、横向きであれば方向を調整していないと目的地に到着できない。今回は幸運にも潮流も風速もさほどではなく、ウミウやケイマフリなど海鳥を眺めながらノンストップ六時間で昼前に焼尻島の南側を通過して天売港に到着できた。

 どちらも五平方km強、一周一二km程度の小島であり、標高の最高も焼尻島が九四m、天売島が一八五mという平らな島である。焼尻島の名所は島の頂部にあるオンコ(イチイ)の原生林で、五万本以上の群生が天然記念物に指定されている。オンコは普通十数mに成長するが、ここでは日本海からの強烈な西風のため高さは一m程度にしかならず、枝の広がりが直径一○mにもなる特別な形状をしている。

 天売島は海鳥の繁殖地として有名である。日本海に面した西側の海岸は二○○m近い断崖絶壁の連続であり、その急峻な斜面に八種類百万羽以上といわれる海鳥が繁殖しており、戦前から天然記念物に指定されている。強風と荒波のなか、この絶壁の足下の海上をカヌーで往復したが、繁殖期の最中の六月であり、ウミウ、ウトウ、ウミネコ、ケイマフリなどが海上や空中に群生している様子は圧巻であった。

 ここは背中が黒色、腹部が白色でペンギンのような外観をしたウミガラスの繁殖地でも有名である。その鳴声からオロロン鳥ともいわれる珍鳥は、六○年代には約八○○○羽が生存していたが、八○年代には五五○羽に激減し、現在では二○羽程度しか確認されていない。サケやマスの定置網による被害と、天敵のオオセグロカモメやハシブトガラスの襲撃によるとされている。

 戦前のニシン漁の最盛期には、両島に一万人以上の漁師が生活していたといわれる。しかし現在、荒海になれば一週間も連絡船が来航せず、野菜や灯油の不足を心配しなければならない場所に、それぞれ五○○人程度の人々が漁業を中心に生活しているにすぎない離島である。日本の人口総数が減少しはじめ、年々漁業も不振になっていく時代に、これら全国各地にある離島がどのような方向で維持されていくかは日本の重要な課題である。





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