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論文

 世界地図を見渡してみると、時速一○○○kmの乗物で連続して約三時間の国内旅行が可能な国家、すなわち、国土の最長の距離が三○○○km以上ある国家というのは意外に数少ない。オーストラリア、インドネシア、アルゼンチン、アメリカ、ブラジル、ロシア、カナダ、インド、中国、チリなどであるが、日本もその一国である。日本は国土面積では世界の五○番目以下の小国であるが、そのような視点からは大国なのである。

 しかも、北緯約四五度から約二五度まで南北二○○○km以上に国土が展開し、気候では亜寒帯気候型から亜熱帯気候型までの多様な地域が存在しているという特徴も貴重である。その南北に展開している長大な弧状の日本列島の九州以南は南西諸島といわれ、さらに南端が先島諸島である。この先島諸島は宮古、石垣、西表などの島々により構成されているが、最大の面積であるのが西表である。

 東京を基点とすれば、羽田空港から那覇空港まで二時間半、那覇空港から石垣空港まで一時間弱、さらに高速の小型客船に乗換えて、右手に竹富、小浜、左手に黒島などの島々を見渡しながら、時々は浅瀬が見透せるほどの浅海を約三○分という旅程で西表の東側の玄関である大原に到着する。それ以外に西表には北側に船浦、西側に白浜という港湾があり、これらの三港を島内を半周する道路が接続している。

 西表は東西約三○km、南北約二○km、一周一三○kmという規模であるが、最高峰古見岳でも四七○mというなだらかな地形であるとともに、年間雨量二五○○mmという多雨のため、沖縄県内最大の浦内川を筆頭に、仲間(ナカマ)川、後良(シイラ)川、前良(マイラ)川、仲良(ナーラ)川、相良(アイラ)川など、南海の小島からは想像できないような規模の河川があり、海岸だけではなく河川でもカヌーをすることができる。

 本年三月、このうちの仲間川と仲良川をカヌーで遡行する機会があった。まだ薄明かりの早朝、仲間川の河口付近の斜路からカヌーに乗込んで川上の方向に出発すると、直後から一帯の両側はマングローブが川岸に密生している森林であり、朝靄の彼方に見渡せる背後の照葉樹林や様々な野鳥の鳴声とともに、映画で紹介されるようなジャングルを進行していく気分になる亜熱帯林の気配である。

 午後には、島内を半周して西側の白浜漁港の片隅から出発して仲良川を遡行した。しばらくは河口の浅瀬であるが、その川幅一kmはある全体が広大なマングローブの森林になっており、ここでしか体験できない雄大な自然を実感できる。遡行していくにつれて川幅が縮小していくとともに亜熱帯林の様相となり、河口から六km程度の地点で急流となってカヌーでの移動は終了する。その変化ある自然はわざわざ訪問する価値が十分にある。

 河川の両側に密生しているマングローブは海水と淡水の混合した汽水で繁殖できる特殊な能力のある樹木の総称であり、国内では鹿児島県が天然植生の北限とされている。しかし、そこに自生しているのはメヒルギのみであるが、西表には日本に生育するマングローブ(オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギ、ヒルギモドキ、ヒルギダマシ、マヤブシキ)のすべてが繁殖しており、貴重な地域である。

 マングローブは陸地と水面の境界に生育し、陸地の泥土が水中に流入するのを阻止することによってサンゴ礁の生育を維持しているとともに、河岸や海岸が浸食されることを防止している。また、その足元にはミナミコメツキガニに代表されるような様々な動物が成育し、それらの動物が富栄養分を処理するという生態システムを構成しており、景観のみならず、自然全体を維持する重要な植物である。

 ところが最近、このマングローブが危機に直面している。西表は国内では数少ない手付かずの自然が残存している地域として観光客数が急激に増加している。それは非難されることではないが、大半が石垣からの日帰り団体旅行であるために時間の制約があり、周囲の景観には似合わない高速の船舶で河川を上下する。この船舶が引起す波浪が、岸辺のマングローブを倒壊させるのである。

 かつてドイツの生態学者が貴重なイリオモテヤマネコを保護するために、島民全員の移住を提案したことがあったそうである。それは島民の自然と共生してきた生活実態に無知な学者馬鹿の戯言であるが、最近の手軽な観光の急増は対策が急務である。知床半島でも自然保護の観点から観光の総量規制が検討されている。わずかな滞在でしかないが、西表においても自然と観光の関係を再考する時機にきていることを実感する。





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