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論文

 日本のオリンピック代表選手になる最適の競技種目はカヌーという冗談がある。競技人口が少数であるために有利というわけである。一般にもカヌーは人嫌いの偏屈な人間の物好きな趣味と見做されているようである。しかし、カヌーは古代から世界各地で利用されてきた移動手段であるし、スポーツ競技としても戦前にベルリンで開催された第十一回オリンピック大会から正式の種目になっており、由緒あるものである。

 競技としてのカヌーは大別すると三種になる。第一はフラットウォーターといわれる競技で、湖水などに用意された直線のコースで競争するものであり、第二はワイルドウォーターといわれる競技で、スキーのダウンヒルのように、急流を一気に下降して時間を競争するものである。第三はスラロームといわれる競技で、スキーのスラロームと同様に、河川の各所に設置された関門を通過しながら急流を下降するものである。

 急流であったり静水であったり競技する場所の状況は大幅に相違するから、同一の場所ではできないが、日本にすべてを一緒に経験できる場所がある。阿武隈川が福島県東和町を通過する箇所である。阿武隈川は福島県白河市の西方にある三本槍岳の東側斜面を出発し、奥羽山脈の東側で峡谷を形成しながら北上して宮城県仙台湾に到達する、全長約二四○キロメートルの東北第三の大河である。

 福島県東和町は日本三大旗祭として記念切手にもなっている「木幡の旗祭」でも有名であるが、カヌーでも国民体育大会で優勝する選手を輩出するなど有名な地域である。この地域を阿武隈川が通過する一帯は、河川が巨大な岩石に激突しながら下降していく渓谷となっており、ワイルドウォーターやスラロームには絶好の環境であるが、その下流には飯野ダムがあるために、その湛水でフラットウォーターも可能というわけである。

 機会があって、平成七年の福島国民体育大会のカヌー競技の会場になったという急流でカヌーをしたことがある。もちろんスラローム競技をできるほどの腕前ではないので、数百メートルの激流の区間を一気に下降してくるだけであるが、極端に表現すれば滝下りの連続であり、これほど緊張したカヌーの体験は最初であり、かつ最後にしたいと願望するほどの恐怖であった。

 最初の激流では一瞬にして転覆し、水中に放出され、それ以後の激流では一応転覆はしなかったものの、偶然に通過できたという程度であった。しかし、競技をする選手は、この急流で自由自在に方向転換をして関門を通過するだけではなく、一部では下流から上流に関門を逆行することも要求される。あたかもミズスマシのようにカヌーと一体で水上を移動できる技量が必要である。オリンピック出場も容易ではない。

 この激流での恐怖の体験をなんとか終了し、艇庫のある桟橋でフラットウォーターとワイルドウォーターのカヌーを試乗させていただいたというよりは、試乗する努力をさせていただいた。まずフラットウォーターのカヌーであるが、簡単にいえば底面が半円になった薄板という船体である。桟橋で一旦は乗込んだものの、グラグラして一瞬にして転覆しそうで、ついに桟橋から離岸することはできなかった。

 それではとワイルドウォーターのカヌーに挑戦したが、これも簡単にいえば、丸太の内側に乗込むような形状であり、離岸した途端に上下逆転しそうで、上手な選手が途方もない速度で激流を下降してくるのを見物するだけで勘弁していただいた。ワイルドウォーターの正式競技は秒速三メートル以上の河川で実施されるので、時速一○キロメートル以上で激流を下降してくることになる。

 今回はカヌーのスポーツとしての側面を紹介したが、一般の人々にとっては、旅行の途中で家族や恋人と湖面を悠々と航行したり、途中でキャンプをしながら大河を何日もかけて下降したり、陸路からは到達できない海岸を走破したりというのがカヌーである。これは素晴らしい体験になるが、日本ではカヌーを日常の余暇手段とするほど普及していないのが現実である。

 これは一度経験してみると、自然についての認識が一転するほどの感激をもたらしてくれる。それは視点の変化である。大半の人々は河川にしても海洋にしても、堤防とか海岸という高所から眺望している。しかし、カヌーからの視点は水面から数十センチメートルであるし、急流になれば顔面まで水面が到達する。この視点の変化こそが環境の認識の変化をもたらすのであり、より多数の人々が、この変化を経験することが期待される。





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