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論文

 四万十川をカヌーで川下りするのもそろそろ50回に近付きつつある。上流の三島周辺の激流からはじまり、写真で紹介される風景の代表である中流、そして下田漁港付近の大河の風情のある河口まで、季節も炎天の夏場はもちろん、台風による大雨で水量の増加した秋口や、雪混じりの強風で川面が波立つ冬場も体験したし、源流である不入渓谷にも登山した。どの個所も、どの季節も、訪問する人々を確実に満足させてくれる大河である。

 四万十川に到達するのは容易ではない。高知空港からタクシーで土讃本線の後免という閑散とした駅舎まで出掛け、一日に何本しかない特急列車に乗車して約ニ時間で中村に到着する。ここから上流までは、さらに一時間近く川沿いの蛇行した県道をドライブすることになる。ある調査では、中村は東京から時間のかかる二番目の都市となっている。第一は隣接する宿毛であるから、日本でもっとも不便な地域といっても過言ではない。

 そのような不便な地域に年間百万人近くの人々が観光に来訪する最大の理由は「日本最後の清流」というキャッチフレーズ効果にあることは間違いない。しかし、現実の四万十川は清流ではない。全国の一級河川のBOD濃度調査では30番目前後であるし、二級河川であれば四万十川以上の清流は各地にいくらでもある。大雨から数日は茶色の濁流となり、その時期に訪問した人々は奔流に驚嘆するとともに落胆することになる。

 四万十川の最大の魅力は清流にあるのではない。上流から下流まで、ほとんどの個所が自然護岸のままでありながら、流域の人々の生活と密着しているところにある。川魚の漁師も多数健在であり、カヌーで川下りをしていくと水中のあちこちに設置されたカニやエビの仕掛けに出会う。河口付近では、最近では貴重になった四万十川海苔の養殖も存続している。これだけ利用されても清流のままであるところが魅力なのである。

 この流域との密着ぶりを象徴するのが毎年十一月十六日の夜明けとともに解禁になる落ち鮎釣りである。中村市内の鉄橋付近はアユの産卵場所であり、産卵を終了したアユを一網打尽にしようという千名以上の市民が前夜から川原に集合し、夜明けとともに朝靄の水面で一斉に投網や釣竿でアユを捕獲する。それぞれ真剣ではあるが、和気藹々として、長年にわたり四万十川に愛情をもってきた人々の気分が充満する時間である。

 このような人々と親交ができれば四万十川は最高の場所になる。いつも宿泊させていただく川沿いの御宅は、自分勝手に「別荘」と命名しているが、頻繁に来訪するからと「月尾嘉男」という表札までかけていただき、夕方になると、土産物屋、印刷業者、花屋、神主など、種々雑多な職業の友人が集合し、深夜まで宴会となる。毎回「別荘」の奥様と料亭経営の友人の獅子奮迅の作業で、ここにしかない料理の山盛りとなる。

 このような関係は以前の日本にはどこにも存在していたものであったが、近代という社会構造が田舎にも浸透していくにつれて消滅していった。それが四万十川流域には奇跡のように存続してきたのである。普通の観光旅行では経験できないものであるとしても、そのような日本の社会の伝統が維持されているという気配が四万十川に多数の人間を吸引する源泉となっている。

 ところが最近、このような僻地にも公共事業という名前の近代社会が浸透してきた。川沿いの蛇行した細々とした県道は拡幅され直線にされトンネルが増加していく。これはまだ利便のため我慢できるが、川原を公園にするという事業はほとんど理由のないものであった。どこもが公園のような都市にあって、天然の樹木が密生している川原を公園にしても意味はない。市会議員の友人と建設省河川局に陳情し、これはなんとか中止になった。

 しかし、実現してしまった大変な事業がある。中流は西土佐村という絶景が連続する地域であるが、そこの水面に突然、巨大なコンクリート柱脚が建設され、豪華な吊橋が完成したのである。しかも対岸には接続する道路はなく、数件ある民家が不便だからというだけの理由で十三億円が投入された。予算も問題であるが、最大の問題は破壊された景観は二度と回復しないことである。

 このような土木事業がなければ僻地の経済が成立しないことは事実であるが、地域の最大の資産といえば景観などの自然環境である。両者の関係の調整は容易ではないが、明確なことは地域経済の維持には多様な方法があるが、消滅した景観や自然の回復は困難なことである。この全国どこにも発生している問題を解決することが、これからの地域の最大の課題である。それを確認するためにも四万十川中流の巨大な吊橋は見学してほしい。





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